・・・二人で交わした約束を覚えておりますか・・・?
此の場所には・・・私の想いも何もかも・・・身体ごと覆い隠すように、雪が降り続けておりますわ。
淡白く光を放つ夜空に・・・月は見えませんけれど・・・・・・・・・
『雪に咲く花』
肌を刺すような冷気に、は唐突に目が覚めた。
こんなに寒いのならば、いっそ雪でも降れば気分も変わるのにと思いながら窓の外に目を向ける。
閉じたままの障子の向こうは闇色で、朝までまだ遠い時刻である事を知ると、の口からは、軽く安堵の溜息が漏れた。
布団の脇に脱ぎ散らかされたままの着物の中から、襦袢だけを引き寄せると肩に掛け、窓に手を伸ばそうと布団から離れる、その瞬間・・・
「夜明けまで、まだ時間あんだろ?・・・此処にいろよ。」
今し方まで寝ていた布団の中から、もぞもぞと顔を出してきた男が、を引き止めるように声を掛ける。
「・・・部屋へ戻ろうと思った訳ではありませんわ・・・原田さん。」
肩に掛けただけの襦袢の袖に腕を通し、腰紐を留めるとは、窓に手を掛け障子を開けた。
見上げた空から零れる光りは無い。
「寒さが増してきましたので、雪でも降っているのかと思いましたのに・・・残念ですわ。」
「雪・・・好きだったか?お前、寒いの苦手じゃなかったかよ。」
気だるげな仕草で身体を起こす原田は、夜着すらも身に纏ってはおらず、部屋に漂う冷気にブルリと身を震わせる。
「寒さには弱いですから苦手ではありますけど。でも、雪は好きですの。本当は見たい雪があるのですけれど・・・京では無理ですわね。」
「・・・雪なら普通に京でも降るだろ。」
「そうですけれど、積もる程ではないそうですから。身体を覆い隠すくらい、降りしきる雪が見たいですわ。
だって、雪が姿を隠してくれたら・・・昼の間でも側に居る事ができますもの。」
原田と身体を重ねるようになってから、幾ばくかの夜を過ごしてきた。
其れは、の部屋だったり、今夜のように原田の部屋だったりもする。
ただ・・・どちらが言い出した事でもないのだけれど、決められた約束事であるかの様に、二人が朝まで共に過ごす事は無いのだ。
まるで・・・一緒に居る事が出来るのは、夜の間だけ・・・とでも言うように。
「身体を覆い隠すくらい降りしきる雪・・・ねぇ。お前と一緒なら見てみてぇな。」
ポリポリと首を掻くと、はにかんだように原田は笑みを見せる。
「でしたら、誰にも内緒で・・・二人きりで、雪を見に参りましょう?」
「夜中にこっそり屯所を抜け出して・・・か。」
「ええ。・・・そして、脱走者として追捕の手が掛かりますの。戻ったら、二人揃って切腹ですわね。」
柔らかい笑みを浮かべたまま”切腹”の言葉を放つに、原田は僅かに目を細めた。
「切腹ねぇ・・・。まぁ、お前と一緒ならそれもかまわねぇけどな。」
「では、原田さんが切腹なさる時には、私が介錯して差し上げますわ。」
「んじゃ、お前が腹切る時はどーすんだ?俺は死んだ後だぜ?」
意地悪げに口の端を上げ、ニッと笑う原田の言葉に、は少しだけ考える素振りを見せる。
「そうですわね・・・沖田さんに介錯をして頂こうかしら。
沖田さんならきっと・・・何もかも断ち切るように、一刀の下、この首を落として下さいますわ。」
ピクリ・・・
と、原田の片眉が上がった。
「・・・総司にかよ。んな事したら俺は妬くぜ?確実に。俺以外の誰にも触れさせたくないってのによ。・・・刀でさえな。」
原田の言葉に、フワリとの心が暖かいもので包まれていく。
「それでしたら、介錯は無しですわね。腹に刀を突き立てて・・・意識が途切れるまでの間ずっと、原田さんの事だけを考えますわ。」
最期の時を二人一緒に・・・そんな他愛も無い事を想像し笑みを零す。
「お前が雪原に立ったらまるでそこにだけ花が咲いたみてーになるんだろうな。」
その姿を想像して目を細めた原田は紅い髪に指を絡ませた。
真っ白な世界に色づく鮮やかな紅い花。
「いつか二人で見に行こうぜ。姿を覆い隠す程降りしきる雪ってやつをよ。」
「そうですわね。いつか見る事ができれば・・・良いですけれど。」
また一つ約束が増え、叶わない願いが胸に積もる。
守れない事を知っていて・・・それでも、約束を口にする。
哀しい程に優しくて・・・
(酷いひと・・・ですわ)
フワリと、窓の外の大気が揺れた気がして、は空を見上げる。
開け放たれた其の先の、淡く白く光る空から一片の雪が舞い降りてきて、の手のひらで溶けて消えた。
「今年最初の雪・・・だな」
原田はの肩に手を伸ばし、寒さから守るように腕の中に抱きすくめた。
背中越しの温かい熱に身をまかせるようには目を閉じると、手のひらをかざす。
「雪の最初の一片には・・・願いを叶える力があるそうですわ。何か願いたい事はありますか?」
振り返り柔らかく微笑むと原田の瞳を覗き込む。
「・・・願いっつーか、望みはあるけどな。でも、が掴んだんだからの願い事を唱えろよ」
「わかりました。では願い事を唱えますわね。」
掲げた手を胸元に引き寄せて、閉じた手のひらに祈るように目を伏せた。
の願う事。
其れは・・・
(どうか原田さんの胸にある願い事が叶いますように・・・)
原田の願いが叶って、幸せになれば良い・・・と思う。
そうでないと・・・
二人で過ごすこの夜が、永遠に明けなければ良いのに・・・と、願ってしまいそうになるから。
◆ ◆ ◆
あとからあとから降りしきる雪は、天を覆い大地を真っ白に染め上げる。
「・・・・・・」
風の中、行く当てもなく流されながら、の髪に触れ、肩先を零れ、地面へと舞い落ちる、雪、雪、雪・・・
蝦夷の地は雪が深く、目を閉じると消えてしまいそうだ・・・と、そう思いながら、は降りしきる雪を、ただ眺め続けている。
夜空を見上げては愛しいひとを思い出す。
当の昔に覚悟はできているはずなのに、目を閉じても浮かぶ優しい笑顔に心が揺れる。
それが何故だか可笑しかった。
あの時の願いは叶っているのかしら・・・そう思い、確かめる術も無い事には苦笑いを浮かべ、雪がまた肩を撫でては舞い落ちていく。
「おい・・・。いつまで外にいるつもりだ。・・・埋まるぞ。」
背後から掛けられる声に、は一瞬肩を揺らせる。
聞き間違える事などありえない・・・けれど、背後から掛かる声にはどうしても緊張してしまうのだ。
逢いたいと願う程、逢えない事を知っているのに・・・
「埋まったら雪を斬って進みますから大丈夫ですわ。」
振り返らずには答える。
「馬鹿な事を言うな。」
「土方さんは心配性ですわね。」
クスクスと笑み零しながら答えるに土方は呆れ顔をする。
そして笑い声と言葉が途切れると、の意識はまた雪へと向かう。
視線の先に何を見ているのか・・・土方は気づいているけれど。
名を出すような無粋な真似はしない。
ただ、静かに。
の背中へ向け、再び話し掛ける。
「・・・よく此処までついてきてくれたな。」
「当たり前ですわ。私の居る場所は新選組以外にはありませんもの。」
「でも俺は・・・お前はもっと他に生きる道があったんじゃねぇかと、今でもそう思っている。」
土方の瞳に浮かぶ苦い色は、背を向けたままのにはわからない。
「そうでしょうか?・・・でも、最期まで新選組で剣士として在り続けた事は、私の誇りですわ。」
自分で考えて選んで・・・望んでこうなったのだとは思っているから。
剣士としての生き様に後悔は無い。
けれど・・・
大切なものを・・・失くしながら生き続けた。
「土方さん、さん。いつまで外に出ているんですか?雪に埋もれてしまいますよ。」
戻らない土方とを心配した島田が、二人を呼びに来た。
「ここにももう一人、心配性な方がおりましたわね。」
埋もれてしまう・・・と、土方と同じ台詞を言う島田に振り返ると、と土方は視線を合わせ・・・
笑った。
数えてしまえばたった数年。
けれども、永遠のように感じる・・・夢のように輝いていた日々。
ただ、それを知る隊士はもう少なくて。
言葉になんかしなくても、視線を合わせるだけで胸に甦る姿がある。
守りたかった・・・大切な人たち。
と土方は同じ痛みを胸に抱えている。
叶った望みと
叶わなかった願い
剣の道で生き続ける事を強く望み
それと同じくらい
大切なひとの側に在りたいと願った・・・
その日々は遠い。
ふと、雲が切れ夜空が覗く。
見上げた空には真円を描く月が巡っていた。
どんなに遠く離れていても、空には同じ月が見える。
柔らかな月明りは雪を照らし、淡く発光する雪が空を染め上げて・・・
風に舞う粉雪がを覆う。
(私が、雪に埋もれても・・・あの人は見つけてくれるかしら?)
耳元まで忍び寄る終焉の足音に振り返れば、きっと捕まってしまうだろう。
だからは、振り返らず・・・顔を上げて、前だけを見続けている。
どんなに雪が降りしきる中でも、花が落ちるその瞬間まで鮮やかに咲き誇ればいい。
雪に咲く花のように。
【終】
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いつか辿り着く遠い未来の更に其の先、終焉の近くです。
冬はやっぱり雪よね・・・と思ったら浮かんだお話。
そして、冬なので悲恋風味で。
2007.01.29 紅月レン
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