この先
どんな過酷な運命が
待ち受けていたとしても。
この胸に残ったのが
ただひとつだけの約束だったとしても。
オレは
アンタと出逢った事は
絶対に
後悔なんてしないから・・・
『永遠の約束』
月の美しい夜だった。
島原の外れに位置する花柳館から、間借りしている長屋へと、提灯片手に陸奥は歩いている。
花街と言へど、夜が更ければ店先は明かりを落とされ、辺りは薄闇に包まれる。
外を出歩く人影も、陸奥以外にはいない。
ドンッ!
その時、脇道から飛び出してきた何かが、陸奥へと当たった。
衝撃で離してしまった提灯が、陸奥の手から落ちると道を転がり、ジジッと音を立て、そのまま灯りが消えてしまう。
「っ痛・・・てめぇ、危ないじゃないか!!!」
思わず罵声を浴びせながらも、飛び込んで来た何かを陸奥は腕の中に抱きとめた。
落ちた提灯灯りが消える寸前、目に映った・・・ひらりと揺れた紅いモノ。
(紅い・・・花びら?・・・いや此れは・・・)
指先にヌルリと伝う濡れた感触と・・・鼻につく匂いがした。
(血・・・か?)
「おいアンタ。大丈夫か!?」
陸奥に縋るように崩れ落ちたのは、髪の長い女。
陸奥が掛けた声に、薄く開いた唇が何か言葉を紡ごうとするが音にはならず、女は陸奥の腕の中で意識を失った。
女を夜道にこのまま置いていく訳にはいかない。
番屋に届けるか、医師に診せるか、陸奥は一瞬考えを巡らせる。
と、その時、近くの通りで数人の男達の声がした。
「女はどうした!」
「此方にはいない」
「見失ったか?」
「まだ遠くには逃げていないはずだ」
「探せっ!探して始末しろ!!!」
(追われているのか?このままじゃまずい)
女を横抱きにして腕に抱きかかえると、陸奥は通りを離れ、そのまま自分の家へと飛び込んだ。
部屋の行灯に小さく火を灯すと、薄明かりに浮かび上がった女の姿に、陸奥は目を見開く。
紅い着物が黒く染まるほど、全身に広がっている紅い血。
意識を無くしても放さない手に掴まれた、紅い刀。
血よりも、着物よりも艶やかな紅い髪。
・・・そして、目を閉じていても判るほど、美しい顔。
一瞬見惚れ、知らずその頬へと陸奥の指が伸びる。
触れた頬の温かさに、ホッと息を吐くと陸奥はフルフルと頭を振った。
陸奥が女を連れて逃げた姿は、誰にも見られてはいない。
だが、これだけ血塗れならば、女の逃げた道には血の跡が残っているだろう。
そして、その血が途中で途絶えていれば不信に思い、周囲の家を探されるかもしれない。
「・・・明日の朝飯にしようと思っていたが、仕方がない。」
台所の生簀に放していた魚を2、3匹左手に掴むと、女の下駄を脱がせ右手に持ち、陸奥は裸足で外へと飛び出した。
そして、女に遭遇した辺りに戻ると、下駄を履き、腰の刀で魚の喉を斬り裂いた。
ポタリと滴り落ちる血の上を、下駄で駆け抜け、わざと道々に血の跡を残していく。
近くの川まで辿り着くと、魚と下駄を投げ入れた。
(此れで誤魔化されてくれればいいが・・・)
すると、先程の男達と思われる声が近づいてくる気配がした。
陸奥は慌てて草むらに身を隠す。
「こっちへ血の跡が続いているぞ。」
「川か!」
「まさか仲間に合流したか?」
「チッ。仕方が無い。」
「次に出逢ったら必ず・・・命を」
血の跡を辿り川縁まで追って来た男達は、岸で血が途絶えているのを見ると、憎々しげに呟き、
そのまま闇夜に姿を消していった。
部屋に敷いた布団に、女は横たわっている。
怪我の具合を見ようと着物を脱がしてみると、思っていたような大きな外傷は無かった。
ただ首筋に、赤黒いく皮膚が変色した箇所がある。
血塗れだった着物に付着した血は誰のものなのか。
追いかけていた男達のものか・・・それとも、他の誰かの血か。
(遊女の足抜けか?)
と、考えてはみるが、それは違う気がした。
艶やかな着物を纏ってはいるが、纏う雰囲気は遊女のものではない。
(どちらかと言うと、何処かの旗本、もしくはそれ以上の武家の御令嬢という感じだな)
ならば誘拐か、もしくはよくあるお家騒動か。
誘拐ならば番屋に届けて守ってもらえば良い。
けれど、もし狙っているのが家の者なら・・・番屋へ届け家元に連れ戻されれば、殺されてしまうだろう。
女を見てそう判断した陸奥は、とっさに自分の家へと連れて来たのだ。
陸奥が色々な可能性を考えた中、一つしっくりきたものがあった。
例えば護衛の者のみ連れて逃げ出した途中、追っ手に捕まりそうになり、女を守った護衛の者が斬られたのであれば、
着物に大量に血がついていた事も、刀を持っていた事も、女一人で夜道を逃げ惑っていた事も納得できる。
(形見の刀になってしまったのかもしれないな)
本来ならば陸奥は、刀も、刀を振るう人間も好きではない。
けれど、意識を失くしても、なお手に握り締められていた刀は、きっと大事な物なのだろうと陸奥は思う。
万が一にも賊に盗られたりなどしないよう、刀を何重にも布に包むと、行李の奥へと仕舞い込んだ。
トントン。
木の枝に止まる鳥のように、軽く何かが肩に触れる。
「・・・・・・」
何かが聞こえたような気がして、ゆっくり目を開けると、自分の顔を覗き込むように、正面に見知らぬ女が座って居た。
「うおっ!」
ゴッ!!!
「痛ぇっ・・・」
陸奥は慌てて身体を後ろに引いたが、頭を壁に強かに打ちつけてしまう。
どうやら、壁を背に胡坐をかき、そのまま眠ってしまっていたようだ。
昨夜女を拾って寝かせたは良いが、目覚めて知らない男の部屋では不安だろうと思い、
目が覚めるまで待っているつもりだったのだ。
「申し訳ありません。驚かせてしまいましたわね。」
「いや、不意打ちだったら少し驚いただけだ、気にするな。」
陸奥へ申し訳なさそうに謝罪した女に視線を移すと、『あっ・・・』と陸奥は声を上げる。
「すまない、アンタの着物は血塗れで、怪我をしていると思ったから着替えさせた。で、でも、何も見ていないからな!」
血塗れの着物をそのままにしておくわけにはいかず、そうかと言って此処には女物の着物はない。
だから陸奥の襦袢を着せたのだ。
と言っても、普段は着物の下には西洋のシャツを着ていたから、殆ど使ってはいない襦袢だったが。
薄い着物一枚で、艶かしいとも思える女の姿に頬を染め、陸奥は慌てて視線を彷徨わせる。
「・・・それよりも・・・此処は何処ですの?」
直視しないようにと、顔を背けていた陸奥の耳に、困惑したような女の声が届く。
「此処は島原を抜けた先にあるオレの部屋だ。昨夜、島原の近くで人にぶつかっただろう?それがオレだ。
その時アンタが意識を失くしたから、そのまま連れてきた。」
「・・・・・・」
「オレの名は陸奥陽之助。アンタは?」
「・・・・・・と申します。」
『・・・か、アンタに似合う美しい響きの名だ』と、小さく呟くと、陸奥は真面目な表情でへ向かい合った。
「野暮を承知で尋ねるが、昨夜あんなところで何をしていた?」
「・・・わかりませんわ。」
視線を伏せると、小さな声では答える。
「わからないって・・・見知らぬ男に事情は話せないって事・・・か?」
「そんな事はありません!」
慌てて否定するに、陸奥を疑っているような様子は見えない。
では、何故話せないのだろうか?
床に置き、硬く握り締められているの手を持ち上げると、陸奥は両手で包み込むように握り締めた。

「オレはアンタの力になりたいと思っている。どうか正直に話をしてはくれないだろうか。」
「でも・・・本当に何もわかりませんの。自分の名以外は・・・何も、覚えていないのですから。」
再び視線を落とし、震えるような声では呟いた。
昨夜島原で陸奥と出逢った事も、何をしていたのかも。
自分自身が何者で、今まで何処でどうやって生きていたのかさえ・・・
何もかも全て、頭に霞が掛かったように何も思い出せない・・・と。
は、記憶を失っていたのだ。
◆ ◆ ◆
その日から・・・たった数日だけの、二人きりの生活が始まった。
陸奥は、朝早く花柳館に出向いて、請け負った仕事を一日こなし、帰路に着く。
どんなに遅い刻限まで時間が掛かってしまっても、必ず部屋へと戻っていた。
そして、は一日中部屋で陸奥の帰りを待っている。
何もせずに部屋に居るのは心苦しいとは言ったが、が追われていた事を陸奥は話し、
一人で外へ出るのは危険だと言い聞かせた。
「・・・で、その時、才谷さんが言ったんだ。」
お膳を挟み向かい合って食事をしながら、一生懸命にへと話しかける陸奥の姿に、クスクスとが、笑みを零す。
「余程、その才谷さんという方の事がお好きなのですね。話を伺っているだけで、どのような方か想像ができますわ。」
「悪い。あんま才谷さん、才谷さんて。同じ話ばかりではつまらないよな。しかも政の難しい話ばかりして。」
『かまいませんわ』と、微笑むの表情は柔らかい。
「あまり難しい事はわかりませんけれど、内容は興味深いですし、陸奥さんが楽しそうに話されているのを聞くのは、
私も楽しいですわ。」
それに・・・と続けるとは箸を置き、陸奥へと静かに視線を向ける。
の表情が少しだけ真剣なものに変わった。
「情よりも理を選ぶべきだと、自分ならそうするとおっしゃっていた事がありますでしょう?」
「あ、ああ・・・新選組の山南の話をした時だな。」
新選組総長をしていた山南敬助という男が、高い理想を持ちながらも、新選組の仲間という情を切り捨てられず
・・・挙句、命まで落とす事になってしまった事がある。
それを陸奥は、情よりも理を選ばなかった事が過ちだったのだと、へ話して聞かせた事があった。
「情よりも理を選ぶ。それが、良い事だと感じるか、悪い事だと感じるかは人それぞれだと思いますけれど・・・
私は、陸奥さんらしい立派な心構えだと思いましたの。」
「立派・・・か?どこが?・・・自慢じゃねぇが、この話をしたら大抵の奴は、
オレの事を情に通じない人間だって非難するぜ?」
『ハッ』と自嘲気味に口元に笑みを浮かべ視線を伏せた陸奥に、は柔らかな眼差しを向けた。
「私は、陸奥さんが情を知らないから、そうおっしゃっているのだとは思いません。
情よりも理を優先すると言う事は・・・自分の心を犠牲にしてでも、この国の、
理想の為に尽力するのだという事だと思いますの。私情ではなく大局を見て行動する・・・
それが辛い時もありますもの。ですから、己よりも他の誰かを大切に思える陸奥さんは立派な方だと思いますわ。」
の言葉に目を見開き、陸奥は一瞬言葉を失った。
「そんな事言われたの・・・初めてだ。、ありがとう。」
ぽつりと思わず零れた陸奥の言葉に、『いえ、思った事を言っただけですから』と、は優しく微笑んだ。
(不思議な女だ・・・)
に紡がれる言葉一つ一つが、陸奥の心に浸透し、暖かいもので包まれていく。
確かにの言う通りだ・・・と、陸奥は思う。
けれど、自分の吐く強い言葉を、ともすれば唯の憎まれ口にしか取られない言葉を、こんな風に理解してくれる人間が、
(才谷さん以外にもいたなんて・・・)
誰にも理解されない事を、辛い・・・と思った事は、陸奥には無い。
いつだって、共に理想を目指す才谷梅太郎が居た。
でも、けれど・・・口に出して、認めてくれるような人間は居なかった。
以外には、誰も。
ふと、そう思ってしまうと、胸に暖かいものが込み上げてきて、陸奥は視界が滲んだような気がした。
心に広がる、ホワホワとした暖かい、けれども形のない何か。
暖かいのに・・・切なくて、苦しくもなる、そんな気持ちに名前を付けるのならば、それは・・・・・・
「何だろうな・・・」
「恋だろそりゃ。」
「なっ・・・オレ様が恋・・・だ、なんてっ・・・!」
慌てて声のした方を振り返ると、辰巳が陸奥の手元を指差している。
「鯉ではありません、鯛ですよ。」
けれど、おこうが辰巳の指摘を否定した。
「・・・は?・・・こい?・・・たい?」
「だからオメェが、其れ食いながら何だろうつーから、鯉だって教えてやったんじゃねーか。」
「だから鯉ではなくて、鯛だって言っているんですよ。辰巳さん。」
辰巳とおこうの会話にパチパチと瞬きをすると、ふっと陸奥は安堵の溜息をつく。
(何だ、オレの考えていた事がわかった訳では無いんだな)
花柳館で、いつのも面子で酒を呑み、つまみを食べながら自分はぼんやりとしていたらしい。
そして、酒が進み、口が回るようになると、いつものようにこの国の未来を語りだす。
の言葉に後押しされていたからかもしれない、普段よりも熱を込めて語ったソレは・・・
辰巳を始めとする花柳館の面々に一笑に伏された。
『才谷の描く理想をただ真似て、まるで自分が考え付いたかのように偉そうに語る』と。
その瞬間、ズキリと胸が痛んで・・・陸奥は何も言い返せなかった。
「あのさ・・・は、オレが・・・こう、この国の未来とか理想とかを・・・話したりするだろ?
それを・・・才谷さんの受け売りを話しているだけだって思うか?」
気落ちした様子で、部屋に戻って以来一言も発しなかった陸奥が、唐突にへ問いかけた。
その声は途切れ途切れで、普段の自信溢れる陸奥からは想像できないような、か細く小さな声だった。
視線を伏せ、陸奥らしくない小さな声で言う様子は、気落ちしていると言うよりも、拗ねているとか、
もしくは甘えているようにも見える。
その陸奥を見て、の視線が優しいものへと変わる。
「それのどこがいけませんの?尊敬できる相手に出逢い、共感し、同じ志を胸に抱く。
とても素晴らしい事ですのに。人は、人に出逢い、影響し、影響され・・・また、想いも繋がれていくものですわ。
誰にも関わらず、何者にも交わらずたった独りきり・・・
自分の想いだけを至上のものとする方もいらっしゃるかもしれませんけれど・・・それは淋しい事だと思いますもの。」
「そうだろうか・・・オレには、才谷さん以外に信頼できる仲間と呼べる人間も居ない。
オレの吐く言葉は強すぎて、批判や反感は山のように買うけど、同意してくれるような奴は居ない。
オレの回りに誰も居なくて・・・独りきり、誰にも愛されなくても・・・このスタンスは変えられないんだ。
嫌な奴だと思わないか?」
下に、視線を向けたままの綺麗な銀鼠色の瞳が微かに歪み、陸奥は自嘲的な笑みを浮かべた。
けれどもの陸奥を見る、優しい視線は変わらない。
「陸奥さんらしく真っ直ぐで、良いではありませんか。曲げられない心を、無理に曲げる必要はありませんもの。
それに、誰にも愛されず、自分は独りきりだなんて事、おっしゃらないで下さい。
陸奥さんの事を好いている者もおりますわ。」
「・・・気休めはやめてくれ。オレは、自分が誰からも好かれちゃいないってことは、よくわかっている。
でも、オレはこういう性格を変えられやしないし、変えるつもりもない。でもそれを、アンタが気に病む事はねぇよ。」
「けれど、陸奥さんの事を好きな者が居る事は本当ですわ。」
陸奥の言葉を否定するようには言うが、陸奥にはやはり自分が誰かに好かれているようには思えなかった。
「・・・才谷さんや花柳館の奴らとか言うなよ。・・・だってそれは、そうかもしれないけど、
本当のところなんて解らないだろ?自分以外の人間の心なんて、判からないしな。」
「そうですわね。他の方の心の内を、私が憶測で言う事ではありませんわ。
ですから才谷さんや花柳館の方ではありません。」
「じゃぁ・・・何処に居るって言うんだ」
「陸奥さんの、目の前に。」
の言葉を、陸奥は一瞬理解できず、不思議そうな表情でを見遣る。
「目の前って、今はしかいないじゃないか。」
「そうですわ。」
「そうって。・・・え?が!?」
驚き、思わず声の大きくなった陸奥の様子に、はクスリと笑みを零した。
「私は陸奥さんの事が好きですわ。志の高さも、それを口にする事ができる意思の強さも好ましく思いますもの。」
「・・・・・・」
「ですから、陸奥さんには私がおりますわ。この部屋の中、陸奥さんといる二人きりの空間が今の私の世界の全てなのに
・・・陸奥さんの中から、私を閉め出さないで下さいませ。・・・淋しいですわ。」
ふいに、の視線が、開け放たれた窓の外へ向けられる。
「・・・・・」
つられて陸奥も視線を向けたその先には、と出逢ったあの日よりも、
少しだけ欠けてしまった下弦の月が浮かんでいた。
「陸奥さんがいらっしゃらない間、こうして月を眺めていると、なんだか淋しいような・・・
そんな気持ちになりましたの。切ないような、苦しいような、何だかとても大切な事を思い出せそうな・・・」
そのの言葉に、ギクリと陸奥は肩を揺らす。
そうだ、はいつまでもこのまま、側に居るわけじゃない、
記憶が戻ってしまえば手元から離れていってしまうかもしれないのだ。
その事実に、陸奥の背中を冷たい汗が伝っていく。
表情を無くし、押し黙る陸奥に、月を眺めるは気づかない。
ゆっくりと伸ばされた陸奥の手が、静かに窓の障子を閉めた。
「思い出せない記憶なら、無理に思い出さなくても良いんじゃないのか。」
「そうでしょうか?でも、いつまでも陸奥さんのお世話になっている訳にも参りませんし。」
「アンタの記憶が無くても、このまま戻らなくても、オレはかまわない。ずっと、オレの側に居れば良い。」
「でも、何処の馬の骨ともわからない人間を側に置くなんて。陸奥さんのためになりませんわ。」
「過去の事なんか関係無い。惚れた女ひとり護れなくて、この国を背負って立つなんて事できないさ・・・そうだろう?」
の頬に手を当て、自分の方へと向かせると、陸奥は灯りに揺らめくの瞳を覗き込む。
「アンタが、好きだ。」
「・・・・・・」
「。オレのモノにならないか。」
ジジ・・・と、部屋に灯る明かりの炎の音が聞こえてきそうなくらい、静かな空間で、陸奥とは見詰め合う。
触れていただけの手で、の頬をゆっくりと・・・愛しさを込めるように陸奥は一度だけ撫でると、更に言葉を続けた。
「アンタが、何処の誰でも・・・お尋ね者の犯罪者でも・・・城の姫君だったとしても、掻っ攫ってでも手に入れる。
変わらない想いを・・・永遠を誓うから。」
一旦言葉を区切り、陸奥は息を吸う。
「だから、。イエスって言ってくれよ。」
陸奥に、頬を撫でられる感触に身を任せるように、は一瞬だけ目を閉じる。
そして長い睫毛が揺れ、目が開かれると陸奥を見つめ直しゆっくりと口を開いていく。
「私も・・・陸奥さんに惹かれております。でも、今は返答できませんわ。
・・・記憶が戻って、自分が何者か知り、陸奥さんがそれでも私を望んで下さるのでしたら・・・
その時に、お返事させて下さいませ。」
意思の強い瞳。
きっと何度聞いてもの答えは変わらないだろう。
そう思い、
「・・・わかった。」
と、だけ言うと、陸奥はこくりと頷いた。
いつか記憶が戻っても、は自分の事を好いていてくれるのだろうか。
そもそも、二人で過ごしたこの日々を覚えていてくれるのだろうか。
考え出せば切がないくらい、不安な事はいくつもある。
(このままずっと・・・記憶なんか戻らなくても、オレのものになれば良いのに)
そう願う心がある事も、陸奥には否定できなかった。
◆ ◆ ◆
「おい、陸奥。ちょっと待てよ!」
今日の仕事が終り、花柳館を後にしようとしていた陸奥が、同じく花柳館へと来ていた辰巳に呼び止められた。
「あ?何だよ?オレは急いでんだ。」
振り向きもせず、答えた陸奥に辰巳は手を伸ばすと、グッと襟元を掴んで引き止めた。
「そんなに急いで何処へ行くってんだ?最近は梅の所にも行ってないようだし・・・」
ニヤリと辰巳が笑う。
「ハッ。オマエには関係ないね。用が無いなら帰るからな。」
「ちょっと、待てって。そうだな、俺様が奢ってやるからうどんでも食いにいかねぇか?」
「断る。」
奢るとまで言ったのに、即答で断る陸奥に、辰巳は更に意地の悪い笑みを浮かべた。
「やっぱり怪しいな。此処最近、やたら花柳館に顔を出しては仕事を請け負うくせに、終れば一目散に帰っちまうし。
怪しい事この上ないなぁ〜。・・・女か?」
「なっ!何言ってやがる!!!」
否定するような言葉とは裏腹に、陸奥の顔が真っ赤に染まっていく。
「なるほど、俺様の推測は正しいって事だな。陸奥が気に入った女ねぇ・・・興味あるから見せろよ。」
「嫌だね。誰がテメェーみてーな獣に紹介なんかするか。」
「見るくらいイイじゃねぇか。それとも何だ、俺に見せられないくらい不細工ってわけか?」
「不細工な訳あるか!上の上。しかもオレが今まで出逢った中で一番の極上だ!!!
見て驚きやがれ、吠え面かかせてやるぜ!」
「よし、そこまで言うならとっくと拝ませてもらおうじゃねぇの。その『極上の女』とやらをな。」
笑いながら言う辰巳を、陸奥はギンっと睨みつける。
「おい!鹿取、これから陸奥のとこに女を見に行くんだが、一緒に行かねぇか?」
花柳館から陸奥と辰巳が連れだって門を出て行こうとしたところ、入れ違いに道場へ入ろうとした鹿取に、
辰巳が声を掛けた。
「いや。俺はちょっと庵さんに用事があるんだ。それに、今はそんな気分じゃないしね。」
何故か少し青ざめ、疲れているような表情を鹿取はしている。
「そんな辛気臭い面で、根詰めても疲れるだけだぜ。これから陸奥のとこに居るイイ女とやらを見に行くんだが、
オメェも一緒に来いよ。」
「俺は本当に、今は忙しくて・・・」
「辰巳、いい加減にしろ!は見せもんじゃねぇ!勝手に鹿取まで連れて来ようとするんじゃねーよ!!!」
鹿取が辰巳の誘いを再度断りかけたその時、叫んだ陸奥の言葉に、ピタリと鹿取の歩みが止まる。
「陽之助くんのところに居る女の人・・・ちゃん・・・て言うのかい?しかも綺麗な子?」
「・・・おお。それがどうした?」
不信そうに陸奥は眉を顰めるが、対照的に鹿取は笑顔を浮かべた。
「やっぱり俺も一緒に行かせてもらおうかな。陽之助くんが言うくらい綺麗な人なら、ひと目見てみたいよ。
かまわないだろう?」
「よし!決まったとこで、じゃぁ行くか!」
意気揚々と歩き出した辰巳に、『オレはまだ良いなんて言ってないぞ!』と陸奥は怒鳴るが、
『一人でも二人でも一緒だろ』と鹿取も笑いながら、三人連れだって陸奥が間借りしている長屋へと向って行った。
「、帰ったぞ。」
「お帰りなさいませ、陸奥さん。」
玄関を開けながらポツリと小さく言った陸奥の声に、奥の部屋からが出迎えに来る。
「あら・・・こんばんは。」
普段は一人で帰宅する陸奥の後ろに、今夜は見慣れない顔の人間が二人も居た事に一瞬は足を止めるが、
直ぐに綺麗な微笑みを浮かべ辰巳と鹿取へと挨拶をする。
「ほほぅ・・・これは、言葉に違わぬ別嬪じゃねぇか。おい陸奥、どっから攫ってきたんだ?」
「オレを人攫いみたいに言うんじゃねー!」
辰巳と陸奥が喧々諤々と言い合いをしているうちに、鹿取がスッとへと近づいた。
「・・・・・・ちゃん?」
「はい。あら、もしかして花柳館の方でしょうか?お噂はかねがね陸奥さんから伺っておりますわ。
私は、陸奥さんのところでお世話になっております、と申します。」
「・・・俺は鹿取。陽之助くんのところでお世話になってるって最近の事?以前は誰も居なかったと思うんだけど。」
何かを考え巡らせるように、鹿取はへと尋ねる。
「ええ、最近の事ですわ。そろそろ七日くらい経ちましたかしら?
記憶を失くしていたところを陸奥さんに拾って頂きまして、行く宛てもありませんので、記憶が戻るまでは・・・
と、お世話になっておりますの。」
「え!?ちゃん記憶が無いの!」
思わず出た鹿取の声は、まるで女性のように高いもので、は驚いた様子を見せる。
「あ、ごめん俺驚くと声が裏返っちゃうんだ、気にしないで。それより・・・この痣どうかしたのかい?」
肩に掛かるの髪を掬い上げると、鹿取はの項に残る紫の痣を覗き込んだ。
「覚えておりませんので、理由はわかりませんけれど、陸奥さんと出会ったときにはもうあったそうですわ。」
「ふーん・・・そうなんだ。」
「っておい!鹿取、勝手にに触るんじゃねぇ!!!」
辰巳とのやり取りに気を取られていた陸奥が振り向くと、にいつの間にか近づいている鹿取の姿が目に入る。
「そうだぜ、抜け駆けはずるいんじゃねーの?」
鹿取を押し退けの右手を取ると、辰巳は自分の口元へ引き寄せた。
「口先だけで刀も満足に振れないこんなチビよりも、俺様の所に来ねぇか?」
「だから!触るなって言ってるだろーがっ!!!」
バシッと音を立てて、辰巳の手が払い落とされた。
陸奥の激昂する様子に、『別に手ぐらい良いだろうが、口うるさい野郎だな』と辰巳は肩を竦めるが、
「もう、お前ら帰れ!!!」
と陸奥は更に怒鳴りつける。
「はいはい。わかったよ、今夜は目の保養もできたし帰るとするか。じゃぁな、。また逢いに来るぜ〜。」
ひらひらと手を振り、辰巳は鹿取を連れて花柳館へ戻ろうとしたが、
『お。その前に一つ用事があったぜ』と、陸奥を呼び止める。
仕事の話だからと辰巳が言うと、は丁寧に辰巳と鹿取に挨拶をし、部屋へと下がっていった。
陸奥は憤りを顕わにしたまま、『勝手に触るな』とか『そもそもを口説くな』とかボソボソと言っている。
けれど、辰巳はふと真剣な表情をすると声のトーンを落とした。
「お前の為に一つ忠告がある。あの女は止めた方がいい。あれは・・・お前の手に負えるような女じゃねぇーよ。
気づかねーのか?あの手は・・・」
「はぁ?何勝手な事言ってやがる。テメーにそんな事を指図される覚えは無いな。」
続く言葉を遮るように、陸奥は辰巳を睨みつけるが、その陸奥の視線に負けず劣らず辰巳も真剣な目を向ける。
「俺はお前の為を思って言ってんだよ。記憶が無いって、そう言ってたな。」
「それがどうした。」
「あの女の記憶が戻った時。辛くなるのは・・・きっとお前だぜ。」
「知った風な口聞きやがって。お前に何がわかるんだ。」
言い合う二人の様子を、鹿取は黙って見ている。
と、ふいに口を開いた。
「あの子の・・・ちゃんの記憶喪失の原因は、たぶん首の痣だと思う。」
鹿取の台詞に、陸奥がピタリと言い合いを止めた。
「痣のせい?」
「そう。正確には毒かな?たぶん首筋に受けた毒のせいで、記憶が混濁してしまったんだと思う。
首は脳に近い、強い毒は命を奪うのはもちろんだけれど、脳に作用して記憶を失くす事も無い訳じゃないんだ。」
「では、もうの記憶は戻らないのか?」
「それは・・・毒の効果が消えれば、もしくは何か切欠があれば戻るかもしれないんだけど。」
『毒を受けたのが七日も前じゃね』と、鹿取は溜め息を吐き、着物の袂から何か白い包みをを出した。
白い懐紙に包まれたそれは、包みの中でサラサラと粉のような音がする。
其れを、鹿取は陸奥の手へと渡す。
「・・・何だ、此れは?」
「毒消しだよ。もう七日も経ってるから、それ程顕著な効果があるとは思えないけど、
未だに痣が残ってるのは毒が体内に残っているって事だからね。
せめてそれだけでも毒消しをした方が良いと思うんだ。」
手のひらに置かれた薬の包みに、陸奥は視線を落とす。
「此れを飲んだら記憶が戻るのか?」
「保証は無いけど、何もしないよりはマシだと思うよ。」
記憶が戻るかもしれない。
それはにとっては良い事のはずなのに・・・陸奥の胸の奥が、チクリと痛みを発した。
押し黙ってしまった陸奥に、鹿取は静かに告げる。
「その薬を飲ませるかどうかは、陽之助くん次第だと思うけど・・・その子の帰りをさ、
気が狂うほど待ち望んでいる人がいるかもしれないって事を、少しだけでも良いから考えてくれないかな?」
鹿取の言葉に、陸奥は『Yes』とも『No』とも、言えなかった・・・
鹿取に渡された白い包みを畳に置き、それを挟んで陸奥とは向かい合って座っている。
二人の視線の先にあるのは、薬の包み。
もう半刻はこうして眺めたまま、互いに一言も言葉を発していない。
毒を受けてから、もう七日が経っている。
今更毒消しを飲んだところで、効果が望める期待は薄い。
けれども、何もしないでいるよりはマシかもしれない。
『その子の帰りをさ、気が狂うほど待ち望んでいる人がいるかもしれないって事を、
少しだけでも良いから考えてくれないかな?』
薬を手渡す時に言った鹿取の言葉を、思い出す。
「其れを、飲むのか?」
「・・・私は、私が何者であるのか思い出したいと・・・思っておりますわ。
ですから、万に一つでも可能性があるのでしたら、試したいんですの。」
は薬に手にし、包みを開く。
サラサラとした白い粉を口に含むと、白湯で喉の奥に流し込んだ。
「・・・どうだ?」
不安に揺れる瞳で陸奥は尋ねるが、薬は飲んで直ぐに効果が出るようなものではない。
そもそも効かないかもしれないのだし。
「まだ何も思い出せませんわ。」
陸奥の様子にクスクスとは微笑みを零す。
「そうか・・・じゃぁ、今夜はもう寝るか。」
花柳館からの帰りに辰巳に捕まって、辰巳と鹿取が部屋に来たせいか、今日は酷く疲れているような気がする。
陸奥は、床に就く事を提案すると、早々に布団を敷いてしまう。
狭い部屋に、二組並べられた布団に、陸奥とはそれぞれ横たわった。
手を伸ばせば直ぐ届く距離に居るの寝息が気になって仕方がなくて・・・眠れない夜もあったけれど、
陸奥を信頼してくれるを裏切るような真似はしたくなくて、陸奥は眠るに触れた事は無い。
「もう眠ってしまったか?」
「いえ。まだ起きております。」
問うた陸奥の言葉に、はすぐに返答する。
「そうか・・・・・・手をかしてくれないか?」
『此処に』と言うと、陸奥は手を出して、布団の端をポンポンと叩く。
少しだけ、陸奥の居る方へ身体を寄せると、は布団の中から手を出した。
出されたの左手を、陸奥は右手で握り締める。

「今夜は、手を繋いでいてやるよ。が不安になったりしないように。夢の中でも、護っていてやるから。」
「・・・ありがとうございます。」
ぼそっと、言い捨て顔を背けてしまった陸奥には見えなかったが、は愛しいような・・・
とても幸せなような・・・そんな笑顔を浮かべていた。
二組の布団の内側に寄り添って、そのまま手を繋いで眠りについた。
眠っている間に遠くへ行ってしまわないように・・・そう願いながら。
「・・・っ!!!」
細い悲鳴のような声がして、慌てて陸奥は飛び起きる。
隣を見ると、が身体を起こし、胸を押さえるようにして蹲っていた。
「どうした!大丈夫か!?」
「・・・ええ。少し・・・夢を・・・見ただけですから。」
ハァハァと乱れる息を、抑えるようにして答えるの顔色は白い。
「陸奥さん・・・私と逢った夜・・・私は何か持っておりませんでしたか?」
「何か思い出したのか?」
唐突に言われた言葉に、陸奥は眉を顰めた。
「いえ。思い出した訳ではありませんの・・・でも、酷く・・・何かが心にひっかかって・・・」
何かと言われ、行李の奥に仕舞い込んでいたモノの事を、ハッと陸奥は思い出す。
気を失いながらも、決して離さなかったの手の中にあったのは、刀だ。
けれども、には伝えないままになっていた。
柄も鞘も紅い刀。
行李から出した其れを、の前へと置いた。
「此れがのモノかはわからない。けれど、あの夜が持っていたのは、この刀だけだ。」
「・・・・・・」
ゆっくりとの左手が鞘へと伸び、右手が柄へと添えられた、その瞬間、
「んっ・・・!」
は刀を離し、両手で頭を抱えると、布団へと突っ伏してしまう。
「!!!」
蹲るの背を抱くように、慌てて陸奥が手を伸ばそうとすると、
『大丈夫ですわ・・・私は、大丈夫』とは震える声で呟いた。
「記憶を取り戻し、自分が何者であるか思い出したいと思っているのは本当ですの・・・
でも、このまま記憶が戻ってしまったら・・・私は、代わりに陸奥さんと居た日々の事を忘れてしまうのかしら。」
出逢ってから、初めて・・・不安のようなものをは零した。
「だったら・・・記憶が戻っても、二人で過ごした時間が消えてしまわないように。
オレをに刻み込ませてくれないか。」
汗で額に張り付いたの髪をかきあげると、陸奥はの瞳を覗き込む。
そのまま愛しげに頬を撫で、背に腕を回し、静かに抱き締めた。
「・・・陸奥さん・・・」
静かには目を閉じていき、陸奥が顔を寄せていく。
唇が触れそうになった・・・その瞬間、唐突にの指が陸奥の唇を押し止めた。
「悪い。」
の制止を拒絶と受け取った陸奥は、を抱き締めていた腕を解く。
少しだけ困ったように、は苦笑いを浮かべた。
「そうではありませんわ・・・二人の時間を邪魔する、無粋な気配が致しますの。」
そう言ったかと思うと、は刀を手に部屋を飛び出し、外へと出る。
を追いかけ、陸奥も外に飛び出すと、浪士と思われる男達が数人、
陸奥が居る長屋を取り囲もうとしているところだった。
「そっちから出てくるとは、都合が良い。探す手間が省けたな。」
「・・・仲間の仇。今度こそ取らせてもらうぞ!覚悟しろ!!!」
道々に点々としていた浪士の中で、一番近くに居た男が、へと斬りかかっていく。
『危ない!!!』
そう陸奥が声を掛けるよりも早く、動いたは・・・刀を抜き、向って来た男を躊躇う事無く斬り捨てた。
(何だ・・・此れは・・・!)
一人斬った後も、残りの浪士もへと駆け寄り、次々に斬りかかってくる。
が、はそれを難なくかわすと男達に太刀を浴びせていった。
「油断していなければ・・・お前達に負けたりなどしませんわ。」
刀を振るう間に、息も乱さず歌うように紡がれた言葉。
優雅に、舞いを舞うように・・・伸びる指の先にあるのは、血に濡れた刀。
刀の先からヒラヒラと飛ぶ血が、落ちる花弁のように地面へと広がっていく。
まるで紅い花が花弁を散らせているように・・・とても美しかった。
けれど、胸が痛い。
(アレは・・・誰だ?・・・あんな女は知らない。)
を拾ったあの夜も、刀は血に濡れていた。
ならば、あの時も・・・が斬ったのかと思い、陸奥は愕然とした。
(でも、何故が?)
そう考えている内に、気づけばその場に立っている者は陸奥以外には、だけとなっていた。
「陸奥さん、加勢が来る前に逃げて下さい。彼らの狙いは私ですから、離れて逃げて下されば、
陸奥さんに追っ手は行きませんわ。」
斬捨てた浪士達の間に立つが、陸奥へと声を掛ける。
「・・・そんな事より、どうしてが刀を使えるんだ!」
叫んだ陸奥に、は哀しそうな目を向けた。
「それは・・・」
が答えようとしたその時、少し離れたところでカチリと金属音がした。
振り返ると、通りの物影に潜んでいた浪士が拳銃を構えていた。
「確かに、お前一人でなら勝てたかもしれないが、今日はもう一人居るじゃないか。
人斬りの鬼が誰かを守りながら戦うなんて、余程その男が大事と見える。」
構えた浪士の銃口は、ではなく陸奥へと向けられる。
「銃の精度など、たかが知れておりますわ。」
刀を構え、男に向き直ったに、浪士は口元に嫌な笑みを浮かべて見せた。
「そうだな。確かに精度は低い、しかし当らない保障は何処にも無いと思うがな。当らないかもしれない。
けれど、心臓を打ち抜く事もあるかもしれない。」
浪士の言葉に、ギリッとは唇を噛む。
もっと近くであれば、トリガーが引かれる前に斬る事もできるが、刀の間合いよりも更に遠くから狙われたら、届かない。
しかも、銃口が向いているのは陸奥だ。
「刀を捨てて、此方に来い。・・・男の方は一歩も動くなよ。お前が動けば、先に女を撃つ。」
先にを見て言うと、次に陸奥を見て男は言い放つ。
「駄目だ!。」
「私は大丈夫ですから、陸奥さんは早く逃げて下さい。」
は手にしていた刀を足元に置くと、浪士の方へと近づいて行く。
が近づいていくと、男はニヤリと笑みを浮かべ、銃を捨てると腰の刀を抜き、へと斬りかかる。
「仲間の無念を思い知れ!!!」
「―――――――――――!!!」
陸奥が、を守るように飛び出すよりも早く、闇夜にキラリと銀色に光る何かが駆けつけた。
ザシュッ!
ドサ・・・
背後から深々と刺された槍は、男の身体を貫き、浪士はそのまま地面へと崩れ落ちていく。
「・・・やっと見つけた。」
槍を手にした男は、へと駆け寄ると腕の中に抱き寄せ、きつくを抱き締めた。
「・・・生きてたんだな!・・・良かった・・・お前が行方知れずになって俺は・・・気が狂うかと思ったぜ」
「左之助さん・・・」
「・・・」
を抱き締める銀髪の男の背に、も腕を回している。
「!ソイツは誰だ!!!」
叫ぶ陸奥の声に、はビクリと肩を揺らせると男の腕からすっと身体を離す。
のその仕草に男は眉を顰めた。
「俺は原田左之助。新選組、十番隊の組長だ。そう言うお前こそ何者だ。」
「シャラップ!!!てめぇには聞いてねぇ!オレはに聞いてるんだ!!!」
ではなく、原田が答えた事に陸奥は激昂する。
「・・・本人がおっしゃった通り、新選組十番隊組長の原田左之助さんですわ。」
「その、新選組の奴が何でこんなところに居るんだ。ハッ!おおかた、血の匂いでも嗅ぎ付けてやってきたのか!?
壬生狼が!」
陸奥の言葉に、は哀しそうな視線を向ける。
「陸奥さん・・・私の名は、。新選組、一番隊に所属する隊士です。」
「なに・・・っ」
一番隊と言えば、あの剣の天才、沖田総司が率いる局長護衛の親衛隊だ。
人斬りと言われた新選組の中でも、更に剣の精鋭ばかりが集められた殺人部隊。
「嘘だろ・・・」
「嘘ではありません。」
「だって、記憶は戻っていないだろ?」
縋るように言う陸奥に、フルフルとは頭を振った。
「先程、思い出しましたの。外に居た浪士の殺気を感じ、刀を手に取った瞬間に。何もかも思い出しましたわ。」
「・・・そんな」
「陸奥さん、私は新選組の人間です。記憶が戻った今、隊に戻らなければなりません。
こうして、迎えも来て下さいましたし。」
は側で成り行きを見守っていた原田を見遣る。
「返事を・・・そうだ、記憶が戻ったら返事をするって、約束したじゃないか!
オレは、が何処の誰でも構わないと言った、その気持ちは・・・今でも変わっていない・・・!!!」
叫ぶ陸奥に、は再び静かに頭を振った。
「それでも駄目ですわ・・・新選組を離れる事はできません。私は、剣士ですから陸奥さんと共に生きる事はできません。
それに・・・何もかも思い出してしまった今、陸奥さんを選ぶ事はできません。」
「・・・・・・」
「私は・・・剣士なのです。」
闇に浮かぶ月の明かりが、を照らし出す。
陸奥を真っ直ぐと見つめる、意思の強い瞳。
「わかった、今夜はこのまま引いてやる。何処へなりと行けば良いさ。」
陸奥の言葉に、はホッと息を吐き『判っていただけて良かったですわ』と小さく微笑んだ。
「だけどな!」
叫ぶと同時に陸奥はグイっとの手を引き、腕の中に抱き込むと、奪うように口付けた。
「!!!」
「貴様っ!」
不意の事に驚くは目を見開き、側にいた原田は槍を構えて殺気を放つ。
が、陸奥は直ぐにから離れ、を原田の方へと突き飛ばす。
「オレは、アンタの事を諦めた訳じゃないからな。が新選組の人間でも、剣士でも、オレの気持ちは変わらない。
いつか奪いに行ってやる!!!」
ビシッと指をさすと、陸奥は宣戦布告するように原田へと言い放った。
「やれるもんなら、やってみやがれ。」
原田は、陸奥が突き飛ばしたを腕に抱き寄せると、髪へ口元を埋めるようにしてニヤリと笑う。
この夜、は七日ぶりに新選組へと帰還する事となった。
こうして、たった七日間だけの陸奥との二人きりの生活は終りを告げ、
心に深く痕を残す・・・陸奥の苦しい恋の始まりとなった。
◆ ◆ ◆
それから色々な事があった。
苦しい事も、哀しい事も、胸を裂いた痛みも・・・
けれど、痛みのそこかしこに、常に愛しい記憶が混在する。
陸奥は白いシャツを羽織ると、西洋の、黒いスーツに腕を通す。
今日は中央政府との会談の日だ。
明治新政府が樹立され、一度は陸奥も兵庫県知事となった。
だが、陸奥が提唱した廃藩置県は政府要人の反対を受け、全国への施行は行われてはいない。
そして、能力は見ず薩長の人間ばかりを要職に就ける恩賞人事のようなやり口に、陸奥は新政府への憤りを止められず、
知事を辞職すると、故郷紀州へと戻り近代兵器を装備した紀州軍を組織した。
失脚した父と、自分達家族を追い出した紀州藩を恨んでないと言えば嘘になるだろう。
けれど、それよりもやらなければならない事が陸奥にはあった。
結果、中央政府の軍を凌ぐ程の強大な紀州軍を作り上げる事になる。
しかし、その紀州軍を解体しろと、中央政府は陸奥に言ってきたのだ。
(シット!廃藩置県を施行させる代わりに、紀州軍は解体しろだなんて・・・汚い奴らだ)
ぎゅっと、眉間に深く皺を寄せ、陸奥は唇を噛み締める。
廃藩置県を提唱していたのは陸奥だ。
この国を、諸外国の脅威に晒されないもっと強い国とするために・・・新たな体制が必要なのだと陸奥は考えていたのだ。
新政府が存続するに値しないものならば、いっそ紀州軍で・・・と、考えた事が無い訳ではない。
けれど、陸奥が望むのは、新政府の転覆などではなくて。
(この国の・・・民の為の、最善の道は・・・)
考えながらクローゼットに手を伸ばすと、陸奥は一枚のスカーフを手にする。
そのまま慣れた手つきで、陸奥は首に巻こうとして、ふとスカーフに視線を落とした。
空のように青い色のスカーフに・・・
時期外れの花が咲いているようだ。
あの日、雪の中佇むを見て、陸奥はまずそう思った。
朝から降り始めた雪は、昼を過ぎる頃には屋根に積もり道を覆い、京の市中を穢れの無い白一色に染め上げていた。
珍しく・・・いや、もしかしたら向こうから尋ねて来るのは初めてだったかもしれない。
自分を呼ぶ声がして、ふと部屋を出ると、紅い髪にキラキラと雪の結晶を纏ったの姿があった。
外は寒いから中へと、部屋へ上がる事を進めたが、は断るように頭を振る。
それならば、せめて此れだけでもと、陸奥は着ていた羽織を脱ぎ、の肩へと掛けた。
いつから家の前に佇んでいたのだろう。
着物の上からでも判る程冷えてしまっているの肩に、陸奥は抱き締めたくなる衝動をじっと堪える。
今は冷え切ってしまっているその身体も、触れれば熱く・・・甘く香る事を、陸奥は知っている。
「『何をしに来た』と、問うてはくれませんの?」
「ああ。がオレに逢いに来るのに、理由は必要無いだろう。」
「陸奥さん・・・私は」
「それに、今此処に、が・・・目の前に居る、その事実だけでオレは良い。」
「・・・陸奥さん」
紡ごうとする言葉を遮られると、困ったように、は陸奥の名を口にする。
聞いてしまえば、終ってしまう・・・そんな気がする、の言葉を聞きたくなくて、
フイと陸奥はから目を逸らした。
視界の片隅で紅い影が揺れ、伸ばされた腕が陸奥の首に回された。
けれど、の腕ではない、柔らかいものが陸奥の首に触れる。
「雲の無い、青い空のような心で居られますように」
そう言いながら微笑むに、陸奥は逸らしていた視線をへと戻した。
「・・・此れは?」
「西洋のスカーフという物ですわ」
「ああ、それは知ってる。そうじゃなくて・・・」
「陸奥さんは西洋の着物を好んで身に着けておりますでしょう?似合うと思いましたの」
柔らかい布地を緩く結ぶと、青い色は凛とした陸奥の印象をより強く惹き立たせた。
「いつも、色々な物を頂いてばかりで申し訳ないと思っておりましたから。」
「それは、オレが好きでやっていた事だから、が気にする事じゃない。」
「ええ、でも・・・何かお返ししたいとは、ずっと思っておりましたの。
でも形に残るような物を贈るのは躊躇いがありましたから、迷っていたのですけれど。」
『物が残れば、想いも残ってしまいますから』と、呟くとは視線を伏せる。
「ありがとう、。大事にする。」
「喜んで頂けたのでしたら、嬉しいですわ。」
『オレも何か礼がしたい』と、申し出た陸奥の言葉に、は静かに頭を振った。
もうその機会は無い・・・そう言うように。
「でも、それではオレの気が済まない。」
「・・・・・・」
陸奥の言葉に、暫しの沈黙が流れる。
降る雪は、周囲の音を吸い込み、穏やかな静けさがと陸奥を包み込む。
「でしたら・・・」
何かを考え巡らせたのだろうか、が口を開いた。
「一つだけ、陸奥さんに願う事がありますわ・・・」
「それが・・・オレに、できる事ならば。」
揺るがない瞳では陸奥を見、同じだけ真摯な瞳で陸奥もを見つめ返す。
「どうか諦めないで下さい。」
何を、と陸奥が問いかける前に、は言葉を続けた。
「陸奥さんが心に描く理想は高すぎて、叶える為に立ちはだかる壁は厚いかもしれません。
けれど、誰に反対されても、何に邪魔をされても・・・決して理想を諦めないと、約束して下さいませんか?」
「そんな事を願って良いのか?今の新政府と新選組の戦況を考えたら、オレは敵に回るかもしれないのに」
「かまいません。」
「・・・・・・」
「誰に、何に阻まれても・・・陸奥さんの望む理想を選んで欲しいと思いますの。」
「・・・・・・」
「例え立ちはだかる敵が、私であったとしても・・・」
「如何して、其処まで・・・オレを後押しするんだ。アンタの大切な仲間を、アンタ自身も・・・
死なせるかもしれないんだぞ!」
「選ぶ道が違っても、この国の平和を願う心は、同じだと思うからですわ。」
初めて出逢った頃と変わらない、意思の強い美しい表情をは向ける。
愛しいに、『この身と引き換えに・・・』と例え言われたとしも、
絶対に譲れない芯みたいなものが陸奥の身体の中には存在する。
それは、この先も、決して曲げる事はできないだろう。
そしてにも曲げられない信念が在った。
刀に頼るのではなく、もっと広い視野で、異国の脅威に晒されない、強い国を作るのだという陸奥の理想。
戦で国が乱れれば、泣くのは弱い立場の者だから、守りたいと願う大切な人たちを守れるくらい強くなる為に、
剣の道を歩みたいというの望み。
相反する想いは、重なる事も交わる事も無い、そう・・・思っていたのに。
『この国の民を・・・目に映る人たちを、守りたいと願う同じ気持ち』なのだと、は微笑んだ。
「わかった。約束する。」
「ありがとうございます。これで、心置きなく京を離れられますわ。」
「・・・・・・」
鳥羽・伏見の戦いで、新政府軍の銃火器を中心とした戦術に、新選組を率いる旧幕府軍は大敗を期した。
この戦で新選組は京からの撤退を余儀なくされた。
それは、も京に居られなくなる事を意味している。
「陸奥さん・・・さようなら。」
柔らかく微笑むと背を向け歩き出そうとしたを、陸奥は後ろから抱き締めた。
「グッバイ、マイハニー・・・こんなにも深く誰かを愛したのは、後にも先にもアンタ一人だけだ。」
耳元に唇を寄せると、愛しさを込めて陸奥は言い放つ。
身を預けるようには目を閉じると、抱き締められた陸奥の腕に手を重ね、こう呟いた。
「剣士としてではなく、女としてでもない・・・ただ一人の人間として陸奥さんと過ごした日々は・・・
私にとって、何物にも換えられない、大切な宝物ですわ。」
開け放たれた窓から、夏の終りの風が迷い込み、陸奥の首に掛かる青いスカーフがフワリと揺れた。
指先を掠めて離れる布の感触に、ふと陸奥は正気に戻る。
こんな風に何かを考えていると、いつも最後にはへと辿り着く。
陸奥は口元に小さな笑みを浮かべながら、逃げるように指先から滑り落ちたスカーフを掬い上げると、
慣れた手つきで襟元に結んでいった。
緩く結ばれたスカーフの片端を引き寄せると、陸奥は目を閉じる。
『雲の無い、澄んだ青い空のような気持ちで、居られますように』
(そう、言ってくれたあの人は、オレの側には居ないけれど)

想いを巡らせながら、陸奥は静かにスカーフに唇を当てる。
から貰った、この青いスカーフを身に纏うときには必ずする・・・祈りの儀式のようなもの。
「おい。辰巳。」
「何だ。」
かつては同じ夢を持ち、この国の未来を語った仲間達と袂を別かれ、
それでも陸奥に着いて来て、呼べば声の届く距離に居てくれた相棒を呼ぶ。
「オレは決めたぜ。」
「・・・」
決意を固めたように、陸奥は辰巳へと揺るがない視線を向けた。
「紀州軍を解体する。廃藩置県を施行させる。」
「・・・そうか。決意したか。」
「ああ。それが・・・約束だからな。」
「お前が考えて決めた事だ。オレは賛成するぜ。」
「そっか・・・ありがとな。」
と交わした約束を、辰巳は知らない。
それでも、陸奥の意見に賛同してくれる。
『陸奥さんが目指す理想を・・・どうか、諦めないで下さい。互いに進む道は違えても、この国の・・・民の為に』
最後に逢ったあの雪の日に、が陸奥へと、たった一つだけ望んだ事。
(あの人と交わした約束が、今でもオレを支えている。)
時が流れても色褪せない記憶が、陸奥の中には存在する。
どんなに手を伸ばしても、届かなかった、けれどもとても幸せな恋の記憶。
もっと違う形で出逢っていれば・・・とは思わない。
オレはオレで、あの人はあの人でなければならなかったから。
例えこれが、最初から叶わない恋だったのだとしても・・・
出逢った事に意味があったのだから。
そしてこの先二度と逢えなくても
剣の道に殉じたあの人に恥じない生き方を、オレもする。
永遠に残る
約束と
愛しさと
理想を
この胸に抱いて・・・
【 永遠の約束 終 】
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『恋華・阿弥陀U』さまへの提出作品です。
阿弥陀であたったお題についてSS・イラスト・漫画などで書かせて頂き
提出させて頂くのですが、私のお題は「永遠の約束」でした(笑)
お題は106個あるんですが・・・よりにもよって「永遠」って「約束」って!
なんてうちのサイトヒロイン向きのお題なんだろう・・・と、思ったら
ドリーム小説しか書けませんでしたよ・・・スミマセンorz
しかも長い上に挿絵付きです、頑張りました(笑)
この陸奥さんは、ゲームをプレイした時からぼんやりと
私の脳内に居たんですが、1月の恋華のイベントで陸奥さんの生歌を
聴いた時に爆発し(笑)それ以来ずーっと脳内陸奥さんが
「早くオレを表に出せよ!」と言っていたSSになります(笑)
ちなみに、時間軸は「これが最後」の半年後くらいです。
最後であれば良いと願う恋があるのに、強い光に出逢ってしまう・・・
運命の神様は意地悪です(笑)
片恋だけど、ありったけの愛しさを込めましたよ!それはホントです。
間すっ飛ばした色々な事はネタとしてはいくつも存在していますので
気が向けばそのうちSSで書くかもしれません(笑)
読みたい方はどうぞ「書けよ!」と催促して下さいませv
こんなに長いお話を読んで下さってありがとうございました〜v
2008.05.10 紅月レン
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