実のところ、それほど寂しいと思っていた訳ではないのだけれど・・・
“寂しい”
と、一つ言葉にする度に、寂しさが増していくような気がするのは不思議だった。
月を眺めたいから・・・なんて、口実で。
本当はずっと、あの人の姿が見られる事を願っていた。
そんな、あざとい自分はあまり好きじゃない。
『紅染月 −始まりの夜−』
葉月も終わりに差し掛かるというのに、肌に纏わり付く夏の名残は夜が更けても薄れる事は無く、
熱を孕んだ大気が今夜も屯所を包んでいる。
家を捨て、逃げるように上京した・・・・京で過ごす初めて夏。
が壬生の屯所の門を叩いた日から、もうすぐひと月が経とうとしていた。
昼間、隊務をこなしている間には考えなくてすむ事も、夜が更けるにつれて胸に込み上げる
映像がある。
そして・・・もう・・・この場所以外のどこにも戻る場所はないのだとは思い知るのだ。
目を閉じても訪れない眠りに、は小さく溜息をつくと、
障子を照らす月明かりに誘われるように部屋を後にする。
夜番で、巡察に出ている隊以外の人間は夢の中にいるような刻限に、
一人静かに廊下を進んでいった。
(こんな時間ではきっと誰も起きて来ませんわね)
月を見上げ頭に過ぎった誰かの笑顔に、は心の中で呟いた。
だから、そのまま部屋に戻る気にはとてもなれなくて、気配の名残だけでも・・・と、
談話室へと足を向ける。
隊士達と言葉を交わすのを、はとても楽しみにしていた。
慣れない土地で、知る人間もいない中・・・“自分で望んだ道なのだから”と
強がってはいても、心細さを感じてしまう事は否めない。
そして・・・同じ隊に配属され共に過ごす時間ができても、
決して自分を振り返る事のない沖田を想うと、胸の奥がチクリと痛むのだ。
こんな夜には・・・どうしても逢いたい人がいる。
夏の終わりの虫の声が、静かに響く廊下を抜けて、談話室の障子に手を掛ける。
ゆっくりと開かれたその先に・・・
逢いたい・・・と、願っていた人影を見つけた。
灯りの消えた薄暗い部屋の中を見渡しても他の隊士は居ない。
障子を開け放たれた先から差し込む月明かりが、月と同じくらい柔らかい光りを纏う、
銀色の髪を照らし出した。
「お・・・か?」
開かれた障子に反応した原田が、へと視線を向けた。
呼ばれた名に、ドキンと、心臓が小さく跳ねる。
「・・・こんばんは。誰も居ないと思っておりましたのに、まだ起きてらしたんですの?」
「ああ・・・ちょっとな。そう言うお前は、誰も居ないと思ったのに、
こんな時間に此処に来たのか?」
「月が綺麗でしたので、少しだけ散歩をしておりましたの。」
「屯所の中をか?」
「ええ。」
「じゃぁ、すぐ部屋に戻んのか?」
少しだけ視線を逸らし首の後ろを掻きながら原田は言う。
「いえ。眠れなくて・・・月を眺めておりましたから、
原田さんさえ宜しければ話し相手になって下されば嬉しいのですけれど。」
「良いに決まってんだろ?眠くなるまで付き合ってやるよ。」
「ありがとうございます。」
嬉しそうな笑みを浮かべ原田に近寄ると、は原田の隣へと腰を下ろす。
「此処で原田さんとお話する事は何度もありましたけれど・・・
こうして二人きりで過ごすのは初めてかもしれませんわね。」
「そう言えばそうかもしんねーな。まぁ大抵他の隊士も此処で時間を潰してるからな。」
声で他の誰かを起こさないように。
二人きりの空間が壊れないように。
内緒話のように、と原田は声を潜め言葉を交わす。
他には誰も居ない部屋で、灯りを灯す事もせず、月明かりだけが互いを照らしている。
他愛も無い会話だけれど、優しい声が心へと浸透していく。
向けられる原田の視線が・・・普段よりも少しだけ甘いように感じるのは気のせいなのか。
気恥ずかしさを感じ、は時折視線を落とす。
ふと、その視線の先に目に止まったものがある。
「ん?・・・此れ気になるのか?」
によく見えるようにと着物の袷を大きく開き、原田は腹に残る傷を指の腹で
ゆっくりと撫でた。
「もしかして。見るの初めてだったりするか?」
「ええ・・・初めて拝見しますわ。どうなさいましたの?」
「切腹の痕なんだぜ。」
鼻の頭を擦りながら、誇らしげに原田は逆の指で腹の傷を指し示す。
「切腹って・・・」
「正確には切腹し損ねたんだけどな」
「何故?と伺っても宜しいのかしら」
「ああ、かまわねーよ。生国の松山藩に居た時によ、
上士に『切腹の仕方も知らない下衆野郎』って言われて、
頭にきてその場で腹ぁ掻っ捌いてやったのさ。」
『暫く生死の境を彷徨っちまったけどな』と、何でも無い事のように笑いながら話す
原田の顔に影は無い。
その笑顔に、は少しだけ眩しげに目を細めると、ゆっくりと傷跡へ指を伸ばした。
「きっと、神様がこんなところで死ぬべき男ではないと、生かして下さいましたのね。」
伸ばされた指は、傷に触れる寸前で止まり、指先を折りキュッと手を握り締めると、
は手を戻していく。
「あん?別に触ってもかまわねぇぜ。もしかして気持ち悪いか?」
「いえ、気持ちが悪いなんて、そんな事・・・露ほども思いませんわ。でも・・・」
傷へとずっと向けられていた視線を上げ、原田の瞳を覗き込むと
「この傷跡に触れてしまったら・・・原田さんの事しか考えられなくなりそうですから、
止めておきますわね。」
小さく呟いて、は切なげに微笑んだ。
「だったら尚更触ってもかまわねぇのによ・・・今夜は特別に。」
ニヤリと唇の端を上げ笑う原田の、その目の奥にはほんの少しだけ真剣なものが含まれている。
「あら?今夜は特別なんですのね。嬉しいですわ。
・・・そう言って下さるところが原田さんの優しいところだと思いますの。」
原田につられるように笑みを零すも目の奥に同じ色を浮かべている。
「ああ。こうやって二人で過ごす夜は特別だぜ。
ま、他のヤツが居たらこんなことも言えねーしな。」
「他の方がいらしたら、こんなふうに近くでお話する事もありませんものね。」
「ま、こんな時間だ、他には来ねーだろ。
誰も居ねーなら、何かあってもおかしくはねぇよな?」
「そうですわね、もう夜も更けておりますし・・・」
「こんな時間に男と女が二人っきりなんだからな」
少しずつ低くなる声のトーンに、甘さが含まれていく。
「それは、原田さんの理性次第かもしれませんわね。」
「う・・・俺に理性なんか求めんのか?」
「それとも・・・こんな時間で、他の方もいらっしゃらない状況では・・・
理性は焼き切れてしまわれますか?」
「ああ・・・あんまり信用はしねぇでくれよな?俺だって男なんだからよ」
困ったように、原田は頬を掻き。
原田の様子に、は目を細めて頬笑みを零す。
「少し・・・意地悪しただけですわ。楽しくお話致しましょう?」
「ってことは、暗に理性は捨てるなって言ってんのか?
ま、俺はおまえがそっちの方がいいんならそれでもいいんだけどよ・・・」
原田の言葉には小首を傾げ、困ったような視線の原田を斜めから見上げた。
「私は・・・原田さんが楽しいと思えるところまででしたら・・・平気かもしれませんわね」
「楽しいと思えるとところまで?」
「ええ。会話の内容と駆け引きが、楽しいと思えるところまで。」
テンポ良く、心地よく流れる会話。
駆け引きと、其の裏に潜む甘さを手探りで辿りながら・・・気づいて欲しいと、
そう願っている。
「私はこうして原田さんとお話できるだけで十分楽しんでおりますけれど、
原田さんにも楽しいと思って頂けなければ、折角お話して下さっているのに
申し訳ありませんもの。」
「俺も十分楽しんでるぜ?じゃねぇと・・・こんな遅くに話したりなんかしねぇだろ。
つうか、こういう駆け引き的な会話でいいのかよ、は。」
「だって・・・・・・」
言葉をが途切れ、フイとが視線を逸らす。
沈黙の中で、髪がサラリと肩先を流れ落ちた。
「・・・駆け引き以上を望んだら、嫌われてしまうかもしれませんでしょう?」
の言葉に、驚いたように原田は目を見開いた。
「嫌われるって・・・誰に嫌われるんだよ?俺がおまえに嫌われるんならわかるけどな。」
「もちろん・・・原田さんに嫌われるかもしれない・・・と心のどこかで思っておりますわ。
私が原田さんを嫌う事はありませんけれど。」
相手の意に沿わぬ事をすれば嫌われてしまうかもしれない。
けれど、誰に対しても、常に気をつけ言葉を選び行動しているかと問われれば、
否と答えるだろう。
嫌われてしまうかもしれないと考える事は、相手に嫌われたくないと思っているという事。
根底にある感情は、好意なのだ。
の言葉に、原田の表情が真剣なものに変わる。
「それは俺が何をしても・・・・・・か?」
例えば・・・と呟くと、原田はの頭を引き寄せ
「こうやっておまえの唇を奪っちまっても・・・か?」
唇が重なる寸前で動きが止まった。
「・・・っ」
とっさの事に、一瞬、の息が止まる。
言葉と共に零れた原田の息だけが、の肌をかすめた。
その息は、熱を帯びている。
「・・・それでも、嫌うことは無いと思いますの・・・こんな私を軽蔑されたりしません?」
迷いは無く、けれど伺うように、原田へと向けられる言葉。
「なんで軽蔑なんかするんだよ・・・
俺がおまえにしたいって思ってそれを受け入れてくれんだろ?
例え、それが“今夜限りの秘密事”であってもだ。」
ニヤリと唇の端を上げて、原田は笑う。
「だって・・・心にお慕いしている方がいるのに・・・
原田さんにこうされるのも嬉しいと思ってしまうなんて・・・」
「別に・・・んなの構わねーよ!」
言葉と共に腕を伸ばすと、原田はを腕の中に引き寄せた。
抱き締める腕に、強く力が籠る。
「今、こうやってすげぇドキドキ出来んのも、また一興ってな」
背に回した原田の腕に、の長い髪が触れた。
その指先が、の髪を撫で、愛おしげに手櫛で梳くように動いていく。
「だいたい・・・この時間に顔を出したのだっておまえに会えるかもって
思ったからなんだぜ?実はよ。」
照れくさそうに、原田は言う。
「私に会うために・・・?それが本当でしたらとても嬉しいですわ」
は、嬉しそうに頬を染めた。
「おまえがこの時間に来るかもとは思っていたからな。
だってよ、普段は隊は別だし、談話室だって常に誰か居るし、
なかなか二人にはなれねーし、もしかしたら今夜ならって思ったわけだ。」
「私もですわ。もしかしたら二人きりに・・・と思いましたから・・・
遅い時間に伺ったんですの。」
「マジかよ・・・」
の言葉を噛みしめるように、原田は嬉しそうな笑みを浮かべた。
お互いの逢いたい気持ちが生んだ、一夜限りの時間。
それが誰にも言えず、赦されず、無かった事になるようなものだったとしても・・・
今、二人で居る事ができる、きっとそれが大切なのだ。
けれど、ふと思い出したように「でもよ・・・」と原田が眉を顰めた。
「おまえは良いのかよ・・・今日のことは胸の中に仕舞っとくとしてもよ・・・
おまえが辛くなったりしねぇか?」
の心の奥底にある想い人の事を、言っているのだろう。
言葉の端々に感じる原田の優しさに、の心は暖かいモノで包まれていく。
「辛くなってしまうとしても・・・原田さんとこうしていたい・・・と
思ってしまう気持ちも・・・ありますから。」
うつむいて、は小さく微笑んだ。
その微笑みに陰りは無い。
「・・・ならもう後戻りはする必要もねぇな?・・・綺麗だぜ?」
うつむいたの顔をすくいあげると、原田はニヤッと笑う。
顎にかけられた手の親指が、の下唇をスッと撫でた。
「もう・・・戻れる道などありませんわ。
原田さんが・・・今夜のことを誰にもお話にならなければ・・・私も話しませんし。
秘めた想いは秘めたままで・・・二人だけの秘密ですわね。」
唇を滑る指の感触に、はウットリと微笑む。
「ああ、そうだな。今夜だけ・・・二人だけの秘密だな?・・・・・・っ・・・」
「誰にも・・・秘密ですわ・・・・・・っ・・・」
我慢出来ず、軽く唇が重ねられた。
瞳を閉じ、原田の着物の裾を握り締めるの指は小さく震えている。
「やっぱ緊張すんな。こんなに緊張すんの、久しぶりな気がすんぜ。
・・・でも、やっとおまえに触れられた。」
唇を離すとの前髪をかき上げるように撫で、原田は嬉しそうに笑う。
「・・・原田さんから手を伸ばして下さるのを、ずっと待っていた気がします・・・」
頬を薄く染めるも、同じ表情で微笑んだ。
「今だけは俺だけの月でいてくれよな・・・?」
「はい・・・今だけは・・・原田さんの為だけの月でおりますわ。」
今宵は満月。
夜の闇を照らす柔らかな光が、開け放たれた障子の外を淡く照らし出す。
外から差し込む月明かりのお陰で、明かりの無い部屋でも、互いの表情が見てとれる。
どこまでも透明で、揺らがない視線。
互いの瞳に、相手の姿だけが映っている。
「おまえのそんな瞳が俺の心を掴んで離さねぇんだぜ?今夜は良い夜だよな。
今夜のことはきっと一生忘れねぇと思うぜ?」
噛み締めるように原田は呟き、もう一度抱き締めた腕に力を込めた。
「私も・・・今夜の記憶は心の奥の大切な場所に残しておきますわ・・・
きっと忘れません。」
目を閉じて、原田へと身を預ける。
心の奥底にあるものに、そっと蓋をした。
今だけは、目の前にいる原田の事だけを考えようと・・・・・・
短く銀色の髪は、優しい月の光の色に似ていると思う。
真っ直ぐ視線を逸らさない翠の瞳は、意思の強さが現れていて好きだ。
いつも笑みを携えている薄い唇は、思っていたよりも熱い事をさっき知った。
無駄なく鍛え上げられた身体はと長い腕は、抱き締められると逃れられないと思う。
大きな手のひらと長い指は、優しく髪に触れてくれた。
目を閉じて感じた鼻腔をくすぐる香りは、日の光と風と大地の匂いがする。
そして、その身体の真ん中に残る、切腹の傷痕。
「・・・ねぇ・・・原田さん。お腹の傷に・・・少しだけ触れさせて頂きたいのですが
・・・駄目でしょうか?」
視線を上げ、原田にねだるようには言う。
「あん?ああ・・・いいぜ。でもそれをやったら、俺しか見えなくなっちまうんじゃ
なかったのか?」
クスリと、原田は楽しげに笑みを零した。
「そうならないように気を付けますけれど・・・でも、今夜しか機会が無いと思ったら
・・・どうしても触れてみたくて。」
己の誠の心を示すため腹を裂いたこの時代。切腹で死んだ男なんて星の数ほどいる。
けれど、その傷跡を残して生きている人間を、は原田以外には知らなかった。
腹の傷に触れると言う事は、本当の原田の心に触れると言う事。
今、此の場所で、この瞬間でなければ、駄目な気がしたのだ。
「そっか。じゃ、記念に触っとけよ。しっかり俺への想いを込めて、な?」
原田は抱き締める腕をほどき、その腕の中からを解放した。
「では・・・失礼致しますわね。」
は原田の着物に手を当てると、少しずつ袷をずらしていく。
そして、右手の指を人差し指を伸ばし、ゆっくりと傷をなぞる。
「ん・・・・・・どうだ?」
「・・・なんだか・・・時別な儀式のような・・・そんな気が致しますわ。
苦しくて、切なくて・・・涙が出そうですわ」
傷に触れたまま、原田を見上げたの瞳は、ほんの少しだけ濡れている。
「儀式、か。まぁ、あんまりそういう風に触られることなんてねぇしな。
なんか変な気分だぜ・・・って、おいおい、泣くんじゃねーよ。
俺の理性がもたなくなっちまうだろ?そんなことされて、そんな瞳で見られたら・・・」
少しくすぐったそうな表情で原田はを見つめ返す。
そして、困ったように笑うと、の目元に浮かんだ滴を唇で受け止めた。
数瞬、見つめ合う二人・・・・・・
は、原田の瞳を覗きこんだまま、傷をなぞる指を止めたかと思うと、
その場所に軽く爪を立てる。
「ふふ・・・爪の紅い跡がつきましたわ」
「ククッ・・・俺とおまえの秘密の痕ってヤツだな?」
「誰にも内緒の・・・秘密の痕ですわ。
それでは、理性が保てなくなると困りますから、仕舞いますわね。」
クスリとは微笑むと、原田の着物の前を合わせ、傷を隠す。
「保てなくなるのはの理性の方か?それとも俺か?」
「さあ?どちらでしょう?」
目を細めたの唇は、艶やかな微笑みの形をかたどった。
「こういうのも・・・なんかドキドキするよな。
でも、どうせならおまえの接吻で痕を残して欲しかったぜ」
「あら、そのような事をしたら接吻だけでは済まなくなりますわよ?
・・・殿方のお腹に唇を寄せるのですから」
「それこそ望むところだぜ・・・って言いたいとこだが、
ま、俺もこれ以上はマジでやばかったからな・・・っつうか談話室だしよ。」
二人きりで忘れそうになったが、此処は誰かが来てもおかしくない場所だった。
腹から離れたの指先を名残惜しそうに視線で追いながら、原田は苦笑いを浮かべる。
「本当に。二人で理性が飛んでしまったら大変なことになりますわよ。
でも・・・代わりに・・・」
腹から話した指先を腕に伸ばすと、は原田の左腕を取った。
「か、代わりに・・・?」
原田は、されるがままにしてを見つめている。
「・・・手首に・・・紅い痕くらいならかまわないかしら?」
「ああ、構わねーぜ?そこは普段あまり他のヤツには見られねーとこだしな。」
原田の腕に、肘から手首まで巻かれた黒い布を少しだけずらすと、
はその手首に唇を寄せた。
口元に頬笑みを浮かべたまま、手首を一瞬舌先で舐め、接吻を落とす。
「・・・痕が消えるまでは隠してくださいね?」
「んっ・・・あ、ああ・・・わかった。」
接吻を落とすその仕草に、原田は目を奪われたように動けなかった。
唇が離れ、がフワリと微笑んだ。
その微笑みに、原田も我に返る。
「それにしても、こっちはしっかり痕がついたな」
かざした手首にはハッキリと紅く、鬱血した痕が残っている。
「しばらく残るように・・・痕を付けましたもの」
「つう事は、これで俺はこの痕が付いてる間はおまえのモンってことだな」
「そう思って頂けるのでしたら嬉しいですわ」
ニッと笑う原田に、は艶やかに微笑み返し「あ・・・でも」と言葉を続けた。
「原田さんは宜しいんですの?・・・痕を残されなくても。」
「へっ?だって・・・いいのかよ!!アイツに見られちまうかもしんねーだろ?」
の唐突な申し出に、原田はうろたえる。
「見えないと思うところに残してくだされば・・・よろしいですわ。
それとも・・・お嫌かしら?」
「嫌じゃねーよ・・・アイツが見ねぇとこってのは、どこだ?
着物で隠れるとこっていったらよ・・・・・・」
から視線を外すと、顔から、首、肩、腕、指先、身体、脚、つま先へと
ゆっくりと視線を巡らせると、一か所へと原田は視線を戻した。
「そうだな、腿の内側・・・とかな」
「腿ですか・・・っ」
原田の示した場所に、は頬を染める。
けれど否の返答はしない。
「場所は・・・原田さんにお任せしますわ」
「じゃ、遠慮なく。・・・ちょっと座れよ。」
足を持ち上げ、裾を軽く開こうとするが、その手が止まる。
「やっぱ・・・こっちじゃ俺の理性がもたなそうだぜ・・・やっぱこっちにしとくか?」
一瞬腕へと指を伸ばそうとするが、「でもやっぱ腕は危険があるよな・・・」と呟くと、
悩みながら、すっとの脚先へと手を伸ばす。
「じゃ、ちょっと失礼するぜ・・・」
腕で裾を割り左足を持ち上げると、内くるぶしの上辺りを吸い上げた。
その原田の様子を、は神妙な面持ちで眺めている。
「なんか、これも儀式みてぇだよな」
そっと足を下ろし、裾を戻すと、原田は照れたように笑う。
「秘密の儀式ですわね。足首でも・・・ドキドキしますわ」
人差し指を口元に当てると、も恥ずかしそうに微笑んだ。
「秘密・・・か」
「ええ。誰にも内緒の、二人だけの秘密・・・ですわ」
「あーでもよ、全く何もなかったことにするのは、ちょっと辛いもんがあるよな」
苦笑いを浮かべた原田に、は優しく返答を返す。
「それでも・・・私の心の中には残っていますわ。
もしくは・・・何か約束でも致します?今夜のことが夢でない証に」
「約束・・・?例えばどんなのだ?」
「そうですわね・・・例えば、今夜のように二人きりでお逢いできたときは・・・
原田さんのことを名前でお呼びする・・・とか」
「それはいいかもな。なんか特別って感じがして・・・そうしろよ。」
嬉しそうに笑う原田の表情に、の心に愛しい気持が広がっていく。
今宵限りと思ったのに、気付けば次の約束をしていた。
また、二人きりで過ごす夜が来れば良いと・・・そう願ってしまった。
「では、二人きりのとき限定で・・・左之助さん・・・とお呼びしますわ」
「おう。二人だけの秘密の約束だな。」
月明かりの下で交わした初めての約束。
そして、これが蒼白い月が薄紅色に染まった、始まりの夜。
恋を・・・
したかもしれない。
【紅染月 −始まりの夜− 終】
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初めて過ごした二人きりの夜です。
そして、ヒロインにとって、原田さんの切腹の痕には特別な想い入れが
あるんですよというお話です。
もちろん、色々な意味で、ですが(笑)
時間軸としては、20011年3月現在、サイトにアップされているものの中で、
一番初期のお話です。
たぶん。
2011.03.29 紅月レン
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