『欠けた月の色』



 地平線スレスレに顔を出す太陽から広がるようにキラキラと水面が輝く。
 普段はどこまでも続く青色も、この瞬間には白金の光をおびて優しくゴーイングメリー号を包み込む。
 そして甲板には、やはり普段だったらそれ自体が光を放っているかのように見える金色の髪が、柔らかい色に変わり潮風に揺れていた。

 サンジの朝はとにかく早い。
 バラティエにいた頃は、日の出と共に起床するのは当たり前、たとえ前日の夜に仕込みが終わっていようとも、朝には朝の仕込みがある。
 そのため、この時間には目が覚めてしまうのだが、夜の仕込みが十分であれば、流石にメリー号ではこんなに早くからすることは無かった。
 そんな慌しい日々には気づかなかった、ほんの数分だけ訪れる白い世界。
 心の奥でモヤモヤと混ざり合う色が、真っ白に浄化される感じが心地好くて、最初にそれを見つけて以来、太陽が昇りきるまでの僅かな時を 甲板で過ごすようになったのだ。

 甲板の手すりに頬杖をつき、薄く開いた口元からゆっくりと紫煙を吐き出す。
 その煙すらも白い輝きを増している。


 ふと、頭の隅に緑色の頭が浮かんだ。


 (あんな、海底を転がるマリモみてぇな頭でも、この光の中じゃ白く光んのかね…)
 (ってか、白いマリモかよ〜腐りかけみてぇでキショイじゃねぇか)
 なんて自分で突っ込みながらも口元からは笑みがこぼれる。
 他には誰もいない甲板に豪快に転がってる姿だとか、風にソヨソヨ揺れる芝生のような髪を触ってるとこだとか、 朝日に照らされてる左頬をフニッとひっぱてるとこだとか、思い浮かべるとなんだか頭がフワフワ、胸がキュウキュウしてくる。
 (へへっ……ヤツは触ったくらいじゃ起きやしねぇからな)
 額の脇の見た目よりも柔らかそうな髪の根元をなでつつ、耳の横から頬を滑らせて顎にたどり着く。
 なぜだか震えそうになる指がそっと
 ゾロの唇に触れた……

 その瞬間、想像の中のゾロが薄く目を醒ます。
 深い翠の鋭い眼光がサンジを射抜いた。

 ビクッ

 半端じゃなく不自然に肩がゆれる。
 さっきまでのフワフワした温かい気持ちが一気に消え去ると、ギュッと胸の辺りが苦しくなり落ち着かない気分になってきた。
 (はっ…何でおれはこんな爽やかな早朝から、あんなクソ暑苦しい野郎のことなん考えてんだ)
 落ち着かない様子で、大分短くなったタバコをトントンとすると、灰が風に乗って、降りしきる粉雪のように大気に舞った。
 (大体ヤツがあんな瞳で見やがるから…クソッ)
 なんだか、緑だかピンクだか黒だか赤だかよくわからない色々混じったモヤモヤしたものが胸に広がっていく。 
 (う〜何なんだ一体、うまく息ができねぇ…)
 酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせてみる。
 と、銜えていたタバコが、ポロッと、シャンパンに消える泡のように水面に吸い込まれていった。





 事の起こりは数日前。
 スカイピアから無事戻り、黄金ゲット&ノーランドはウソツキじゃなかったおめでとうパーティーを開いていた。

 「みんなやられちゃって一時はどうなるかと思ったけど、フフ黄金も手にいれたし!終わり良ければ全て良しよね〜!」
 目がベリーになっているナミが高らかに笑う。
 「でもね、結構危なかったんだからぁ〜。いくら私が美しくて聡明で思わず誘拐したくなるほどの美貌の持ち主だからって、 本当に連れて行かれたら困るのよ〜、空じゃ海図は書けないじゃない?あんな変態カミナリと2人きりってのもカンベンって感じだし。 サンジくんありがとね。」
 「レディーのピンチには必ず登場するのがナイトの務めですから。背中に羽を生やしてどこへでも飛んでいきますよ」
 スカイピアで取ってきた、りんごサイズはあろうかという木いちごの中をくり抜いてカップ代わりに、たっぷりの生クリームと 刻んだ木いちごでできたイチゴパフェをナミに渡す。
 いや〜ん、こんなに甘いもの食べたら太っちゃうなどと言っていたら、横から手が伸びてきた。
 その手をパシッと軽く振り払う。
 「ひらなひんなったらひふぇよ(いらないんだったらくれよ)」
 肉を頬張りながら、懲りずにルフィーがまた手を伸ばしてきた。

 ゲシッ。

 今度はサンジの蹴りが飛ぶ。
 「それはナミさんのだ。ヤロー共の分は別にあるから、まず肉を飲み込め」
 口に頬張っていたものを一瞬で飲み込むと「おう!」と勢いよく、ルフィーはパフェを取りに駆けて行った。

 「サンジ君の蹴りも絶好調ね。フフ」
 ナミの顔に、少し安心したような笑みが浮かぶ。
 「箱舟に来てくれた時、最初はウソップしかいなかったから絶望しちゃったわよ」
 「ガボーン。そりゃねーだろナミ」
 ウソップは盛大に肩を落として見せた。
 「だいたい何よ、あの“ウソップ呪文(スペル)”。『爪と肉の間に針が刺さった〜』とか言って、エネルより聞いてる私の方が 痛いっつーの」
 パフェのスプーンの柄でウソップをウリウリとつつく。
 「なんだと〜あれが俺の精一杯だ。それで時間が稼げたからサンジが間に合ったんじゃね〜か」  腕組みして、えへん、と偉そうにウソップは胸を張る。
 「いやまぁ、俺もかばってもらっちまったわけだし…あれは俺が女だったら惚れるね」
 ウソップがサンジの肩をパシパシ叩くと、レディじゃないお前に惚れられても俺はちっとも嬉しくねーなどと言いながら、 サンジは懐から出したタバコに火をつける。
 「だってよ、あのタイミングでナミと俺を逃がしたら、どう考えても自分は助からねぇ……そこからが男ウソップの活躍だったわけだが」
 いつものように大げさに武勇伝を語ろうとすると、明らかに一人分の量じゃないパフェを持ったルフィーがトコトコと通り過ぎるのが見えた。
 「あっ!こらルフィー!俺のパフェまで食うんじゃね〜!!」
 「早いもの勝ちだぁ!」
 あはははは。
 料理が飛んで笑いが広がる。



 その会話を、輪から離れた位置で聞いていたゾロが、ふと、不思議な顔をしていた…



 サンジが自分の命を顧みず仲間を助けたのは、知っているだけでもこれで3度目。

 強くなる為に、前だけを見て戦い続ける自分とは違う戦い方。
 大切なものを護る為の戦い。
 思えば、最初に出会った時からそうだった。
 バラティエでレストランを護る為。
 ドラム王国でナミとルフィを護る為。
 箱舟でナミとウソップを護る為。
 この先だって、誰かを護る為にサンジはいつでも自分の命を投げ出すだろう……
 それを考えると、ゾロは胸を掻き毟りたくなるような焦燥感に襲われる。
 この口の悪いコックが、自分が見ていないところで死ぬかもしれない……
 透けるような白い肌に、酷く映えた血の色がやけにリアルに思い浮かんだ。





 うかれすぎたせいか、上質な酒のせいか、気づけばみな酔いつぶれている。
 「サンジ〜もっと肉〜・・・ムニャムニャ」と口に骨の残骸を加えたままよこたわっているルフィーやら。
 「いやん・・・こんなにいっぱい黄金がぁ・・・全部で10億ベリーはくだらないわよぉ〜ウフ」
 なんて黄金のサウスバードを抱き枕に、笑みを浮かべるナミやら。
 それぞれが幸せな夢の世界に旅立っていた。

 やれやれしょうがねぇななんて言いながら、サンジは食器を片付けつつみんなにタオルケットをかけて歩く。
 ゾロの傍まで近寄ると、てっきり寝ているとばかり思っていたゾロが薄く目を開けた。
 「おいてめぇ・・・また死にかけやがったのか?」
 と、ちょと怒ったような声で聞いてきた。
 「はぁ?お前だって真っ黒コゲで死にかけだったじゃねーか」
 ゾロの頭を踏み潰そうと足をあげたが、ゾロは転がってそれをよける。
 転がりながら足首をつかみ引っ張ると「うぉ」とサンジはバランスを崩しゾロの横にペタンと尻餅をいた。
 何しやがんだてめぇ……と、言いかける。

 ゾロが真剣な眼差しでこっちを見ていた。

 瞳の中に自分の姿が映っているのがわかるくらいの至近距離。
 普段知っている、若草のような緑よりもずっと深い緑色。
 ノドまで出掛かった台詞はなぜだか声にならず、身動きもとれない。

 しばらく睨み返しているとゾロの眉がほんの少し苦しげに歪んだ気がした。
 ゾロはサンジの手からタオルケットを奪い身体に巻きつけると、クルッとサンジに背を向ける。
 「仲間ばっか気にして俺の知らねぇとこで死ぬような目にあってんじゃねーよ」
 ボソッと独り言のようにつぶやいた。
 それがサンジにはよく聞き取れない。
 「え?」
 と聞き返すとゾロはもう眠りに落ちていた。





そのことがあってから今日まで、何だか視線を感じて振り返ると、あの時と同じ瞳の色をしたゾロと目が合った。
ゾロは声をかけるでもなく、すぐ目を逸らす。
そしてサンジは気づくとゾロのことを思い浮かべているようになってしまったのだ。




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