『Rainy days』


正門から校舎までの100m程は、緩やかな上り坂の桜並木が続く。
今年70周年を迎えた本学と違い、10数年程しか経っていないこのキャンパスでは、通りの両脇に
生えている桜も、実際は並木道と呼べる程大きくもない。
しかし、市の西部丘陵地帯の31万平方メートルの敷地を有するだけあって、3棟の研究・教室棟を中心に、
厚生棟、クラブ棟、体育施設が取り囲む。
特に体育設備は、50mプール、体育館、陸上競技場、サッカー場、野球場、テニスコートと充実している。
ここがゾロの学び舎である。

今年の夏は冷夏だった。
馬鹿みたいに暑過ぎるのも困りものだが、夏らしくない夏というのも淋しい気がする。
そのせいか、夏の名残を惜しむ間も無く秋になり、10月の頭にもなれば肌寒いと感じるようにもなった。
本日の最後の講義が終了すると、そんなに遅い時間でもないのに、既に辺りは薄闇に包まれている。
久しぶりに顔を合わせたのだから飲みに行こうと言う友人の誘いを断り、足早に教室を出ると、
外は霧がかかったように細かい雨が降っていた。
(っんだよ、雨が降るなんて天気予報でゆってなかったじゃねーか)
ゾロは軽く舌打ちをすると、慌てて走り出した。
正門から続く桜並木の脇は階段状になっており、駐車場と駐輪場がある。
無駄に土地ばかり広いキャンパスなのだから、坂の上に駐車場を作ってくれても良いのにと思っているのは
自分だけではないだろうと、ゾロは密かに考えている。
坂の上から順に、教職員用駐車場、生徒用第1駐車場〜第4駐車場。そして一番下の駐輪場にゾロが通学で
利用しているバイクが止めてあった。
もう乗らないからと、知り合いに安く譲ってもらった、ハーレーダビッドソンのヘリテイジ・スプリンガー。
フロントフェンダーの先からテールランプまで1960年代のテイストが盛り込まれたルックスは、どこか
懐かしく温もりのある趣を醸し出している。
闇に溶けるようなビビッドブラックがまたゾロの好みに合っていて、それなりに大切に乗っていた。
(雨に濡れると錆びるんだよ〜メンテが大変じゃねーか・・・)
眉をひそめて、シートに付いている水滴をさっと拭うとエンジンを掛ける。
静かな雨音に支配されていた空間に、2、3度震えるような重低音が響いた。
正門前のバスロータリーで、傘も差さずに佇んでいた人影が、その音に惹かれるように振り返る。
周囲が闇色に染まる中で、一際目立つ金色の頭。
一目でサンジだとわかる。
頬に張り付く髪から滴り落ちる雫も、金色をしているんじゃないかと思うほど鮮やかな金髪が揺れる。
ヘルメット越しだから視線が合っていたことなんか気づかない筈なのに、唇を微かに上げてサンジが
笑った気がした。
濡れた顔で微笑む・・・その目元は微かに赤く、雨ではない“何か”で濡れているのだとすぐにわかった。
いつもこんな時に出会ってしまう、そんな気がする。
気づかなければ、やり過ごせたのに。
気づいてしまったら、このまま放っておくことなんて自分にはできない。
胸の奥がチクリと痛む。


ゾロはサンジのことが好きだった・・・・・・





サンジと出会ったのは今年の4月。
講義の空き時間にクラブ棟の2階にある部室で寝ていたら、人の声で目が覚めた。
部屋の中は真っ暗で、外も暗い。
いつのまにか夜になっていたらしい。
外の声は全く気にせず、眠い目を擦りながらドアノブに手を掛けると、開けた瞬間に“パンッ”と
乾いた音が響いた。
そこには、2階テラス脇の階段を駆け下りる、女の後ろ姿と、ベンチの前に立ち尽くした男が、
赤くなった頬をさすっている姿があった。
それがサンジだった。

このキャンパスでサンジのことを知らない人間はいないだろう。
ただでさえ目立つ金髪碧眼。
周囲には女が絶えないプレーボーイ。
女には優しいが、男には死ぬほど態度の悪いいけすかないヤロー。
その手の事に興味が無いゾロでさえ噂話を耳にするほどだった。
1年の時はクラスが離れていたせいか同じ授業を受ける事も無く、すれ違う時に見た外見と噂でしか
知らなかった。
しかし、今年、2年になってから同じゼミになったのだ。
ゼミの自己紹介の時の事は、実はあまり覚えていない。
元来他人に興味が薄い自分は初対面で人を覚える事ができないからだ。
だから、クラブ棟の2階テラスでのアレが最初の出会いだったのだと思う。

「あ・・・お前確か、同じゼミの奴だろ。その緑頭と人相の悪さは・・・ロロノア・ゾロ・・・とか言ったっけ」
記憶の片隅にある情報を少しずつ引き出すようにサンジがしゃべる。
俺って女の子の名前は一発で覚えるんだけど、ヤローは覚えられないんだよな〜、でもなぜだか
お前のことは覚えたよ、やっぱ凶悪な面は印象ありすぎ?
なんて事も言っている。
言われた内容より、覚えられている事に意識がいっててボケッとしてたら、「お前アホだろ〜」と
ケタケタ笑われた。
胸ポッケからタバコの箱を出す。
白い箱の中央部分が四角く赤くなっていて、ゾロの見覚えの無い銘柄が書いてあった。
最近では珍しいハードボックスから1本取り出すとマッチで火を付けた。
「で、お前はこんな時間に何でこんなとこにいんの?」
薄く開いた口元から、ゆっくりと紫煙を吐き出してサンジはゾロに聞く。
「講義の空き時間に部室で寝てた。起きたら夜だったんだよ。大体てめーこそ、こんな時間に何して
やがる」
「見りゃわかんだろー。俺は今、愛しのレディーに別れを告げられて傷心なんだ。ほんっと失礼な奴だな。
よし、慰謝料として酒をおごれ」
「はぁ?何言ってんだ?」
「良いから黙って俺様の言うことを聞け!」

それから、なんだかんだと言い掛かりをつけられて、気が付いたら駅前の居酒屋で一緒に酒を飲んで
いたのだ。
それ以来、なぜだか何度も同じようなシーンに出くわした。
それは、クラブ棟の2階テラスだったり、中庭の噴水前だったり。
直接目撃しないとしても、明らかに振られた直後のサンジに会ってしまったり・・・その度に一緒に酒を
飲んでは、サンジがその女と付き合い始めてから振られるまでの経緯を聞かされた。
いつの間にか普段は友人のようなポジションになっていたのだと思う。
実際一緒にいることが多くなってみると、口は確かに悪いけど気は合うし、プレーボーイってのも、
女の方が勝手に寄って来ては離れていくのを繰り返しているだけだ。
それに、サンジの周りは本当に女ばっかだったから、こんな風に話ができるのは俺だけなのだろう。
感情の起伏が激しいせいか、酔って泣いたりすることもよくあった。
他のヤロー共にするような凶悪な態度ではなく、女共にする愛想を振りまくるような態度でもない。
他の誰も見たことが無いであろうサンジの甘えた姿。
最初の頃は、しょうがない奴だ・・・と、単に思っていたけれど。
何度も振られて傷つくサンジを見て、いつしか慰めてやりたいと思うようになっていた。
慰めたい・・・泣かせたくない・・・笑っていて欲しい・・・それが“恋”なのだと気づくのにそう時間は
かからなかった・・・・・・

自覚した瞬間に諦めなければならなかった恋心。
それでも、わかっていても、どうしても捨てることができない自分がいた・・・・・・





緩やかに走り出したバイクがロータリーを回り、サンジの前に止まる。
「てへ・・・またやっちまった」
濡れて頬に張り付いた髪をはらいながらサンジは笑う。
降っている雨は霧のように細かいはずなのに、サンジの髪は雫が落ちる程濡れていて、薄いベロア地の
黒いシャツも、雨を吸い込んで重くなっていた。
「こんな格好じゃ店に入れねぇし、このまま帰ってもじいさん心配すんだろ。とりあえずアパート
寄ってけよ」
自分が被っていたヘルメットをサンジに渡しながら、後ろに乗るように指示する。
ウエストに巻かれた腕をなるべく意識しないようにゾロは自分に言い聞かせる。
背中に感じるはずのサンジの体温は、冷えているせいかほとんどわからない。
代わりに自分の体温だけが上昇している気がした。
再び緩やかに発進させると、エンジン音を響かせながら、バイクは夕闇に吸い込まれていった。

大学入学と同時に上京してきた為、ゾロは大学近くのアパートで一人暮らしをしている。
間取りは1kで6畳のフローリングになっている、標準的な学生向けアパートだ。
必要ない物はほとんど買わないので、部屋にはテレビ・コンポ・パイプベッドくらいしか置いていない。

カチャリ。
ユニットバスの扉が開く音がする。
頭をタオルで拭きながら、ゾロの黒いスウェットの上下を来たサンジが出てきた。
冷えていた身体も暖まったようで、頬がわずかにピンクになっている。
「・・・わりぃな」
「おう、気にすんな。それより何か飲むだろ?」
折りたたみ式の小さいテーブルを開くと、その上にビールを数本とジン。焼酎と日本酒はビンが大きいので
テーブルの脇に置いた。

1缶2缶とビールを空けていく内に、サンジはポツリポツリと話し始める。
「今回はさぁ〜わりかし良い感じだったんだよぉ〜。2週間くらい続いたし・・・それなのに、
結局『サンジ君は私の事だけ好きなわけじゃないでしょ』って。だってしょうがねぇじゃん、
世の中のレディーは全て等しく愛すべき存在だもんよ・・・」
グイッと勢いよく缶を空けるが、飲み干せなかったビールが口の脇を伝って流れ落ちる。
それをサンジはスウェットの袖口でグイグイ拭った。
乱暴な動作と口調で誤魔化してはいるが、目が潤んできているのは気のせいじゃないだろう。
「だからいつも言ってるだろ。お前にとって本当に好きな唯一って思える相手を探せって。
来るもの拒まずだからこんなふうになんだぞ」
「だけどよぉ・・・そんなこと言うけど、お前には好きな女とかいるのかよ」
サンジがぷぅと口を尖らせて言う。
「・・・好きな女なんて・・・いねぇよ」
一瞬、ドキッとゾロの心臓が大きく脈打った。
「じゃぁえらそ〜なことゆ〜なよなぁ〜マリモの分際で」
サンジはゾロの髪に手を伸ばすと、短い髪の毛をチクチクと引張った。
「それでも、彼女たちの言いたい事はわかるさ。俺だったら、大切な相手がいれば、そいつだけを
大事にする。 辛い事や苦しい事が少しでも減るように、いつでも笑っていられるように守ってやるさ」
サンジの瞳を真っ直ぐ見ることはできなくて、何の番組がやっているかもよくわからないテレビ画面の方を
向いてゾロは言う。
「そっか・・・じゃぁ彼女達は、俺みたいな酷い男よりゾロみたいに大事にしてくれる奴が良いんだろーな・・・」
潤んでいただけのサンジの目には涙が溢れそうになっていた。
「そんなことねぇよ・・・お前が、本当は良い奴だってのは俺が知ってる。自信は持って良いから。
ただちゃんと好きな相手を見付けろってことだ・・・」
「・・・だったら・・・ゾロが・・・・・・俺のこと好きに・・・なってくれたら良いのになぁ・・・・・・」
途切れ途切れにつぶやくと、サンジはポテンとゾロの肩に頭を乗せて動かなくなった。

スゥスゥという気持ちよさそうな寝息だけが聞こえる。
酔っ払いの戯言に振り回される自分も情けないが、言う方も言う方だとゾロは思う。
さっきは本当に驚いた。
心に秘めていた想いがサンジに気づかれたのかと、心臓が凍りつくかと思ったくらい驚いた。
眠っているサンジを起こさないように、そっと抱きかかえると、パイプベッドへと運ぶ。
震える指を抑えることができなくて、サンジの柔らかい前髪を軽く梳いた。


「まったく、人の気も知らねぇで・・・・・・」


サンジの上にかがんで、触れるか触れないかぐらいのほんの僅かだけ、ゾロはおでこに唇を寄せた。






 End



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